彼らは教会の兄弟たちを戒めた。また、彼らも各々、神の言葉により、自分の罪、すなわち過去に犯した罪に応じて戒めを受け、絶えず祈るように、またすべてのことについて感謝をささげるように神から命じられた。
「常に祈りなさい」2008年10月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会
ブリガム・ヤング大学アイダホ校に勤めていたころ,ベドナー姉妹とわたしはよく自宅で中央幹部をもてなしました。ある夜,十二使徒定員会の一員と一緒にひざまずいて祈ったとき,わたしたち家族は意義深い祈りについて重要な教訓を得ました。
その日,ベドナー姉妹とわたしは親友の予期せぬ訃報を受けていました。わたしたちはすぐに,残された伴侶と子供たちのために祈りたいと思いました。わたしが妻に祈るよう頼んだとき,その日に起こった悲しい出来事について知らなかったその十二使徒は「祝福に対する感謝だけ述べて,何も求めないように」と優しく勧告しました。その勧告は,いにしえの教会にアルマが与えた「絶えず祈るように,またすべてのことに感謝をささげるように」という教えに似ていました(モーサヤ26:39)。しかし,そのような悲劇の中にあるときは,友人の家族への祝福を求めるのが先で,感謝を述べるのはその後ではないかと感じました。
ベドナー姉妹は十二使徒の指示に信仰をもってこたえました。彼女はその愛する友人とともにたくさんの意義深く心に残る経験ができたことを天の御父に感謝しました。聖霊が慰め主として与えられていること,逆境に立ち向かうときや人に奉仕するときに助けてくれる御霊の賜物が与えられていることに,心から感謝を述べました。何より重要なことに,妻はイエス・キリストの贖いの犠牲や主の復活,そして家族が永遠にともに住めるようにしてくれる,回復された福音の儀式と聖約への感謝を述べたのです。
わたしたち家族はその経験を通して,意義深い祈りにおいて感謝がどれほど大きな力を持っているかについて貴重な教訓を得ました。あの祈りのおかげで,わたしたちは霊感を受け,それまで頭や心を占めていた数々の不安を鎮めることができたのです。幸福の計画への感謝,人を救う救い主の使命への感謝が,そのとき必要だった安心感をくれ,愛する友人の家族は大丈夫だという気持ちになりました。この経験から,何について信仰をもって祈り,適切に願うべきか,理解が開けました。
わたしがこれまでに経験した最も意義深く霊的な祈りには,感謝の言葉が大半を占めていて,願いの言葉はほとんどあるいはまったくありませんでした。わたしは今,使徒や預言者と祈る機会に恵まれています。そこで気づいたのは,救い主の教会の現代の指導者は,モルモン書に記された司令官モロナイと同じ特質を持っているということです。なぜなら彼らもまた,神が民に授けてくださった多くの特権と祝福について,神への感謝で胸をいっぱいにしているからです(アルマ48:12参照)。言葉数は多くありません。祈るべき事柄が示され,願い事が多くあるからです(3ニーファイ19:24参照)。預言者たちの祈りが力強いのは,子供のように簡潔で,心から述べられているからです。
祈りを意義深いものにしようと努力するときに次のことを覚えておきましょう。「すべてのことの中に神の手を認めない者と,神の戒めに従わない者のほかに,人はどのようなことについても神を怒らせることはない,すなわち,ほかのどのような人に向かっても神の激しい怒りは燃えない。」(教義と聖約59:21)皆さんもわたしも,時々は感謝するだけの祈りをささげるようにしましょう。何も求めず,ただ心を喜ばせ,心を尽くして感謝を伝えましょう。