そしてわたしは、民が悔い改める度に、わたしに対する彼らの過ちを赦そう。
「永遠の中の日常」2017年10月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会
心から謙遜であるとき,わたしたちは赦しを祈り求め,ほかの人を赦します。アルマは,モーサヤ書の中で,わたしたちが悔い改める度に,主はわたしたちの過ちを赦されると教えています。(モーサヤ26:30参照)一方,主の祈りで明らかにされているとおり,(マタイ6:12,15参照)人の過ちを赦さないと,わたしたちは自分自身に罪の宣告を招くことになります。(モーサヤ26:31参照)イエス・キリストの贖罪のおかげで,わたしたちの罪は悔い改めを通して赦されるのです。わたしたちに対して過ちを犯す人を赦さないと,わたしたちは,事実上,救い主の贖罪を拒絶していることになります。恨みを抱き,赦すこと,キリストに倣って謙虚に人との関係に取り組むことを拒絶する人は,まさに自分自身に罪の宣告を招くことになるのです。恨みを抱くことはわたしたちの霊にとって有毒です。(ネルソン・マンデラはこう語っている。「恨みとは自分で毒を飲んでおきながら,その毒で敵が死ぬのを望むようなものです。」(ジェシカ・ドゥランド,“15 of Nelson Mandela’s Best Quotes,” USA Today, 2013年12月5日付, usatoday.com))