「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -174ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヒラマン7:21

しかし見よ、それは利益を得、人々から称賛され、また金と銀を得ようとするからである。あなたがたは富と、この世のむなしいものに執着してきた。そのためにあなたがたは人を殺し、略奪し、盗み、隣人に不利な偽証をし、あらゆる罪悪を行っている。

 

「タバナクルの御霊」2007年4月、ボイド・K・パッカー、十二使徒定員会

人の誉れを求めると,気づかぬうちに,この世でたどるべき唯一の安全な道から外れてしまうと聖文は警告していますヨハネ12:431ニーファイ13:92ニーファイ26:29ヒラマン7:21モルモン8:38教義と聖約58:39参照)。また「人の誉れを得ることを望」むとどうなるか,聖文は明白に警告しています教義と聖約121:35

 

大切なのは,説教で何を聞いたかよりも,何を感じたかです。聖霊はその影響力を受けようとするすべての人に,メッセージが真実であり,この教会が末日聖徒イエス・キリスト教会であることを確認してくださいます。

 

 

タバナクル:ソルトレイク・タバナクルは末日聖徒イエス・キリスト教会の大きな集会やイベントのために設計されました。 タバナクルの建設は1863年に始まり、1867年に完成しました。 タバナクルはテンプルスクエアの西側に位置し、象徴的な11,623本のパイプを持つオルガンを背景に、テンプルスクエア・タバナクル合唱団の本拠地となっています。(ブログ主付記)

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヒラマン7:20

おお、どうしてあなたがたは、神が助けてくださったその日に、神を忘れることができたのか。

 

「祈り」2001年10月、ヘンリー・B・アイリング、十二使徒定員会

ヒラマン書を見てみましょう。「おお、どうしてあなたがたは、神が助けてくださったその日に、神を忘れることができたのか。」ヒラマン7:20そして同じ書の後の部分で、神が恵みに満ちた優しさで祈りにこたえてくださった直後の、民の恐ろしいまでの行動パターンが、再び描写されています。

 

「このことからわたしたちは、人の子らの心がどれほど不誠実で不安定であるかを知ることができる。まことに、主を信頼する者たちを、主が大いなる限りない慈しみをもって祝福し、栄えさせられるということも、、わたしたちは知ることができる。

 

また、主が御自分の民を栄えさせられるまさにそのとき、まことに、民の畑と家畜の群れを増し、金銀と、あらゆる自然の貴重な品々と人工の貴重な品々を与え、民の命を助け、敵の手から民を救い出し、また宣戦することのないように敵の心を和らげ、要するに御自分の民の繁栄と幸いのためにあらゆることを行われるそのときに、彼らは心をかたくなにし、主なる神を忘れ、聖者を足の下に踏みつけるということが、わたしたちに分かるのである。これは、彼らが安楽で、非常に豊かに繁栄したためである。

 

またこのことから、主が多くの苦難をもって御自分の民を懲らしめられなければ、まことに、死と恐怖と飢饉とあらゆる疫病を下されなければ、彼らは主を思い起こそうとしないことが分かる。」ヒラマン12:1-3

 

そして、同じ章の次の節を読むと、わたしたちがなぜ祝福の源をいとも簡単に忘れ去り、信仰をもって祈る必要性を感じなくなるのか、その理由が分かります。

 

「おお、人の子らは何と愚かで、虚栄心が強く、邪悪で悪魔に従い、何と罪悪を行うのが早く、善を行うのが遅いことか。何と悪しき者の言葉を聴くのが早く、俗世のむなしいものに執着するのが早いことか。

 

まことに、何と高慢になるのが早いことか。何と誇るのが早く、あらゆる罪悪を行うのが早いことか。人の子らは何と主なる神を思い起こすのが遅く、主の勧告に耳を傾けるのが遅いことか。何と知恵の道を歩むのが遅いことか。

 

見よ、人の子らは、自分たちを造ってくださった主なる神に治められ、統治されるのを望まない。主が深い慈しみと憐みをかけてくださっているのに、人の子らは主の勧告を軽んじ、主が自分たちの導き手になってくださるのを望まない。」ヒラマン12:4-6

 

……

 

皆さんが聖文について深く考え、神と聖約を交わした事柄を実践し始めるなら、神に対する愛をいっそう深めることができ、また皆さんに対する神の愛をいっそうよく感じられることを約束いたします。そして、この愛を念頭に置いてささげられる皆さんの祈りは、感謝と願いとで心を満たしつつ、真心からささげられることになります。そして、神に頼る思いも強まります。また、恐れずに、心に平安を抱いて、神に仕える業のために行動を起こそうという勇気と決意とを見いだすことになります。常に祈るようになります。そして、将来どのようなことが起ころうとも、神を忘れるようなことはなくなるのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヒラマン7:17

おお、悔い改めなさい、悔い改めなさい。なぜあなたがたは死のうとするのか。立ち返りなさい、主なるあなたがたの神に立ち返りなさい。なぜ主はあなたがたを見捨てられたのか。

 

「わたしがあなたがたを癒いやすことができるように,……悔い改めなさい」(英文)2009年10月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会

わたしたちがみもとに来て御腕に抱かれるようにという主の望みは,悔い改めへの招きという形で表されることが多くあります。「見よ,主はすべての人を招き,憐れみの御腕を伸べて,『悔い改めよ。そうすれば,わたしはあなたがたを受け入れよう』と言われる。」アルマ5:33

 

人は罪を犯すと神に背を向けますが,悔い改めるとき,向き直って神に立ち返るのです。

 

悔い改めへの呼びかけが厳しい非難の声であることはまれです。それはむしろ,向き直って,神に「再び立ち返りなさい」という愛ある願いなのです。ヒラマン7:17参照) これは,愛ある御父と御父の独り子からの招きです。今以上の自分になり,さらに高い生き方を手に入れ,変わり,戒めを守ることで得られる喜びを味わうようにという招きなのです。キリストの弟子であるわたしたちは,悔い改めのもたらす祝福と,赦されることで得られる幸せを知り,喜んでいます。この喜びはわたしたちの一部となり,考え方や感じ方に大きな影響を及ぼしています。

 

この大会の説教に耳を傾けている何万という人々のふさわしさや義の程度は一人一人異なります。それでも,悔い改めはわたしたち全員にとって祝福です。罪を赦されることによって,だれもが救い主の憐れみの御腕を感じる必要があります。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)