「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -173ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヒラマン11:11

おお、主よ、このように彼らは謙遜になっていますので、あなたの怒りを解いてください。あなたがすでに滅ぼされたあの悪人たちの滅亡をもって、あなたの怒りを和らげてください。

 

「器の内側を清める」(英文)1986年4月、工ズラ・タフト・ベンソン大管長

高慢さという点において大きな問題を抱えていたモルモン書中のふたつの民は、どちらも学問があり、富める人々でした。2ニーファイ28:15参照)しかし神のみ言葉をもってすれば高慢を抑えることができます。アルマ4:19参照)

 

高慢は数多くののろいの元となり、謙遜さは豊かな恵みをもたらします。例として主のみ言葉をひとつ読んでみましょう。「汝須らく謙遜なれ、さらば主なる汝の神は手を取りて汝を導き汝の祈りに応えん。」教義と聖約112:10) 謙遜な人は「強くせられて天の祝福を受け、また折々知識を与え」られるとも書かれています。教義と聖約 1:28 ) 主は「へりくだれる心を以て罪を告白する」人には恵み深いお方であられます。教義と聖約61:2) 謙遜さは神の怒りをなだめることもできるのです。ヒラマン11:11参照)

 

愛する兄弟姉妹の皆さん。器の内部を清潔にするなら、私たち自身の生活の中に、また家庭、教会の中に変化が出てくるに違いありません。高慢から良い意味での変化は生まれません。高慢から生ずるのは、正当化による自己弁護です。悔い改めとは、変わることを意味します。謙遜な人は、悔い改めを通して自分を変えることができます。これは確かなことです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヒラマン10:4

「ニーファイ、あなたはこれまで行ってきたことのために幸いである。わたしがあなたに授けた言葉を、あなたが根気よくこの民に告げ知らせたことを、わたしは見たからである。あなたは彼らを恐れることなく、また自分の命を得ようとせず、わたしの思いを求め、わたしの戒めを守ろうとしてきた。

 

 

「小さなことから」2004年10月、キャスリーン・H・ヒューズ、中央扶助協会会長会

祈りと研究を通して得られる霊性。人への奉仕。惜しみなくささげる什分の一と断食献金。これらは今初めて聞く原則ではありません。大きなことに先立って必要な「小さなこと」の一部です。しかし次の聖句から,主が何を求めておられるかが分かります。主は「心と進んで行う精神」を求めておられます教義と聖約64:34。改めなくてはならないのは,わたしたちの心であり,精神です。皆,欠点や弱点があり,物事に対する姿勢も完全とは言えません。主はあらゆる点で主に心を開くように求めておられます。そして「自分の命」を得ようとせず,「わたしの思いを求め,わたしの戒めを守ろう」と努めるように,とおっしゃっていますヒラマン10:4。新たな心は,できる限りのことを行い,心と精神をささげるときに得られるものです。このようにすれば,御父は現在も,また永遠にわたっても,わたしたちの生活を豊かなものにすると約束してくださっています。わたしたちは恐れる必要はないのです。

 

姉妹の皆さん,善を行うことに疲れ果てないでください。もし忍耐強くあれば,わたしたちが求める心の変化を経験することができます。ほとんどの人は,少しの修正で本来の正しい方向へ戻ることができるはずです。行わなくてはならない修正は「小さなこと」ですが,「簡単なこと」というわけではありません。多くの力が働いて,わたしたちの方位磁針を狂わせています。しかしわたしたちは,正しい方向に戻してくれる促しを認識することができます。それは天の家に戻る方角なのです。

 

御父が愛する娘であるわたしたちに与えてくださった約束が真実であると証します。救い主の示された生き方に倣ならうよう自らを吟味し軌道修正していくならば,シオンの光が照り渡り,主の再臨に備える民となっている自分たちに気づくことでしょう。イエス・キリストの御名によって,アーメン

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヒラマン8:14-15

まことに彼は、神の御子が将来来られることを証しなかったか。彼が荒れ野で青銅の蛇を上げたように、将来来られる神の御子も上げられるであろう。

また、その蛇を仰ぎ見る者が皆生きたように、悔いる霊を抱いて、信仰をもって神の御子を仰ぎ見る者は皆、生きることができ、永遠であるあの命にあずかるであろう。

 

「いつも御子を覚える」2016年4月、ジェリット・W・ゴング、七十人会長会

復活について,聖文にはこう記されています。「手足と関節はことごとくその体に回復される。まことに,髪の毛一筋さえも失われることなく,すべてのものが本来の完全な造りに回復される。」アルマ40:23それなら,なぜ救い主の完全な復活体に,いまだに脇腹の傷と,手足のくぎ跡が残っているのかを,どうかよく考えてみてください。教義と聖約6:37参照)

 

歴史上,時には,死すべき人間に十字架の刑が執行されていたこともあります。しかし,わたしたちの救い主であるイエス・キリストのみが,その純粋な愛のしるしを今も身に残して,わたしたちを受け入れてくださいます。全ての人を主の御名によってみもとに引き寄せるために十字架に上げられるという預言を成就したのは,救い主ただ御一方だけです。3ニーファイ27:14参照。例として,ヨハネ12:32-331ニーファイ11:33モーサヤ23:22アルマ13:2933:19ヒラマン8:14-15も参照)

 

救い主はこう宣言されました。

 

「たとい彼らが忘れるようなことがあっても,わたしは,あなたを忘れることはない。

 

見よ,わたしは,たなごころにあなたを彫り刻んだ。」イザヤ49:15-161ニーファイ21:15-16も参照)

 

救い主は証しておられます。「わたしは上げられた者である。十字架につけられたイエスである。神の子である。」教義と聖約45:52

 

いつでも,どのようなことについても,どのような所にいても,わたしたちがいつも御子を覚えていられるよう,へりくだり証し,祈ります。モーサヤ18:9参照)イエス・キリストの神聖かつ聖なる御名により,アーメン

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)