このように、暴風雨と雷と稲妻と地の震動のために、全地の面が形を変えてしまった。
「礼拝がもたらす祝福」2016年10月、ディーン・M・デイビーズ、管理ビショップリック
聖文に記された最も驚くべき感動的な経験の一つは,救い主が亡くなり,復活された後に,アメリカ大陸の民を訪れられた出来事です。民は「全地の面が形を変え〔る〕」ほどの大きな破壊を経験しました。(3ニーファイ8:17)一連の出来事に関する記録には,破壊が起きた後,人々は泣き続け,(3ニーファイ8:23参照)その深い悲しみの中で癒しと平安,解放を切に求めたとあります。
救い主が天から降られたとき,人々はその足もとに二度ひれ伏しました。一度目は,主が神の権能をもって次のように宣言されたときです。
「見よ,わたしはイエス・キリストであり,世に来ると預言者たちが証した者である。
見よ,わたしは世の光であり命である。」(3ニーファイ11:10-11)
そして主は,その場にいる人々に,「立ってわたしのもとに来て,あなたがたの手をわたしのわきに差し入れ,またわたしの両手と両足の釘の跡に触れて,わたしがイスラエルの神であり,全地の神であること,そして世の罪のために殺されたことを知りなさい」と言われました。……
「彼らは全員進み出て,自ら確認した後,一斉に叫んだ。
『ホサナ。いと高き神の御名がほめたたえられますように。』」(3ニーファイ11:14,16-17)
それからもう一度,「彼らはイエスの足もとに伏し」ました。しかし,今度は目的がありました。彼らは「イエスを拝した」と書かれています。(3ニーファイ11:17)
……
礼拝がなければ,わたしたちは無限なる御方との比類なき霊的な交わり,つまり,愛ある天の御父の子供として享受できる機会を逃していることになります。
礼拝とは,偶然に運よく起こるものではありません。わたしたちの霊的な生活にとって不可欠であり,中心となるものです。わたしたちは礼拝することを切望し,求め,その機会を得ようと努力すべきです。


