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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約135:6

ハイラム・スミスは、千八百四十四年二月で四十四歳であり、ジョセフ・スミスは、千八百四十三年十二月で三十八歳であった。今後、彼らの名は殉教者の中に加えられる。そして、あらゆる国の読者が、荒れた世を救うために『モルモン書』と当教会の『教義と聖約』という本書が十九世紀の最も貴い血を犠牲にしてもたらされたことを思い起こし、また、もし神の栄光のために火が生木を損なうことがあり得るとすれば、腐ったぶどう園を清めるために枯れ木を焼き払うのはどれほど容易であるか思い起こすであろう。彼らは栄光のために生き、栄光のために死んだ。そして、栄光が彼らの永遠の報いである。彼らの名は、代々にわたって子孫に伝えられ、聖められた者にとって宝石のように見なされるであろう。

 

「モルモン経と教義と聖約」(英文)1987年4月、工ズラ・タフト・ベンソン大管長

私は現代のふたつの聖典,すなわちモルモン経と教義と聖約についてお話ししたいと思います。

 

モルモン経と教義と聖約は,神の民を集め,主の再臨に備えさせるために,イスラエルの神から与えられた啓示としてひとつにまとめられています。「荒れ廃れたる世を救う目的」でこれらの聖典が世に出されるためには,「第19世紀に於ける最も貴き血潮」教義と聖約135:6,すなわちジョセフ・スミスとその兄弟ハイラムの血が求められました。

 

この神聖な証には,それぞれに世のすべての人に対するすばらしい宣言が載せられています。モルモン経のとびらのページと主がはしがきとして与えられた教義と聖約の第1章がそれです。主はジョセフ・スミスに,「今の代の人々には,汝によりてわが言を与うべし」教義と聖約5:10と言われました。そして確かに人々は,モルモン経と教義と聖約,またほかの現代の啓示を通して神のみ言葉を与えられてきました。

 

モルモン経と教義と聖約はお互いに証し合っています。片方を信じて,もう一方を信じないということはできません。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約135:5

「そしてわたしは、異邦人が慈愛を持てるように、主が彼らに恵みを授けてくださることを主に祈った。そこで主はわたしに言われた。『たとえ彼らに慈愛がなくても、あなたにとっては問題ではない。あなたは忠実であったので、あなたの衣は清くされるであろう。また、あなたは自分の弱さを認めたので、強くされて、わたしが父の住まいに用意した場所に座せるようになるであろう。』さて、わたし……は、キリストの裁きの座の前で会うときまで、異邦人とわたしの愛する同胞に別れを告げる。その裁きの座の前で、すべての人は、わたしの衣があなたがたの血で汚れていないことを知るであろう。」その遺言者たちは今や死に、彼らの遺言は効力を持つ。

 

「魂の安寧」(英文)2009年10月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会

近代に語られた「終わりの時」の証を紹介しましょう。ジョセフ・スミスと兄のハイラムが、殉教が迫っていることを知りながらカーセージに向かって出発したとき、ハイラムは弟の心を慰めるために次の一節を読みました。

 

「あなたは忠実であったので,……あなたは……強くされて,わたしが父の住まいに用意した場所に座せるようになるであろう。さて,わたしモロナイは,キリストの裁きの座の前で会うときまで,……別れを告げる。」エテル12:37−38, 教義と聖約135:5

 

それはモルモン書のエテル書第12章にある数節でした。ハイラムはモルモン書を閉じる前に,読んだページの角を折り返し,永遠の証に付け加えました。この証のために,二人の兄弟は命を落とそうとしていたのです。わたしが今手にしているのは,ハイラムが読んだそのモルモン書です。ページの角が折られているのが今でも分かります。のちに,カーセージの監獄に入れられた預言者ジョセフは,自分たちを見張る看守に向かい,モルモン書が神聖な真実の書物であることを力強く証しました(History of the Church,第6巻,600)。そして間もなく,最期の言葉を残した二人の命を銃弾が奪ったのです(教義と聖約135:5参照)

 

モルモン書が神聖な書物であるというわたしの証の根拠となる数え切れないほど多くの要素の一つとして,わたしはこれをモルモン書が真実であることを示すさらなる証拠として提示します。最も助けを必要とする最期の時を迎えたこの二人が,事実に基づかない,作り話でできた書物に命と名誉をかけ(これには,教会と教導の業という意味も加えることができます),そこに永遠の救いを探し続けることで,神を冒涜するでしょうか。

 

このすぐ後に,ジョセフとハイラムの妻たちが夫を,そして子供たちが父親を失ったことは考慮しないでください。また,従ってきたわずかな人々も「家,友達,家庭を失」い,その子供たちが凍りついた川と未開の大草原に血の足跡を残すことになった(ジョセフ・スミス,History of the Church,第4巻,539)ということも忘れてください。そして多くの人が命を失い,また多くの人が生きて,モルモン書と,モルモン書が真実であることを宣言する教会のために世の隅々まで出て行ったということも忘れてください。このすべてを考慮から外したとしても,死を目前にした二人の兄弟が,もし神の御言葉でないとしたら時の終わりまでもペテン師,詐欺師の烙印を押されるような書物から引用し,慰めを見いだしながら永遠の裁き主の御前に行こうとするでしょうか。そのようなことをするはずがありません。二人は,モルモン書が神聖な起源を持つ永遠に真実の書物であることを否定するくらいなら,むしろ進んで死を選ぶ人たちでした。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約135:4

暗殺の二、三日前、ジョセフは、法律の見せかけの要求に応じて自分の身を引き渡すためにカーセージへ向かったとき、次のように言った。「わたしはほふり場に引かれて行く小羊のように行く。しかし、わたしは夏の朝のように心穏やかである。わたしの良心は、神に対してもすべての人に対しても、責められることがない。わたしは罪のないまま死に、やがて『彼は冷酷に殺害された』と言われるだろう。」同じ朝、ハイラムは出かける用意を終えた後――ほふり場へと言うべきであろうか、そうである、そのとおりであった――彼は『モルモン書』のエテル書第十二章の終わりに近い次の句を読み、そのページを折り返した。

 

「預言者ジョセフ・スミス―模範による教師」2005年10月、トーマス・S・モンソン、大管長会

預言者ジョセフの教えの中で最もすばらしく,同時に最も痛ましいのは,死を目前にして語った教えではないでしょうか。ジョセフは示現の中で,聖徒たちがノーブーを去り,ロッキー山脈へと向かって行く様子を見ました。彼は聖徒たちが迫害者の手から逃れて主が示された約束の地に導かれることを心から願っていたのです。一緒に行きたかったことでしょう。しかし,ジョセフには無実の罪で逮捕状が出ていました。フォード州知事のもとに嘆願書が数多く寄せられていたにもかかわらず,逮捕状が取り下げられることはありませんでした。ジョセフは家を離れ,妻や家族,聖徒たちに別れを告げて,この世の権力に身をゆだねました。戻ることは恐らくないであろうことも知っていました。

 

カーセージに向かう途中,ジョセフはこう言いました。「わたしはほふり場に引かれて行く小羊のように行く。しかし,わたしは夏の朝のように心穏やかである。わたしの良心は,神に対してもすべての人に対しても,責められることがない。」教義と聖約135:4

 

カーセージの監獄で,ジョセフは兄ハイラムと何人かの兄弟たちとともに拘禁されていました。1844年6月27日,ジョセフとハイラム,ジョン・テーラー,ウィラード・リチャーズが一緒に入れられていた獄舎に怒り狂った暴徒が押しかけ,階段を駆け上がるとドア越しに銃を乱射し始めました。ハイラムは死に,ジョン・テーラーは負傷しました。ジョセフ・スミスがこの世で最後に行ったのは,自分を捨てた偉大な行いでした。ジョセフは部屋の端へと走りました。恐らく「自分が外に出れば,部屋にいた兄弟たちの命が救われると考えたのでしょう,……窓から飛び出したのです。そのときドア側から飛んで来た2発の銃弾がジョセフの体を貫きました。そしてもう1発,外から発砲された弾に右胸を撃たれたのです。」(History of the Church,第6巻,618) ジョセフは,自らの命をささげました。そしてウィラード・リチャーズとジョン・テーラーは助かりました。「人がその友のために自分の命を捨てること,これよりも大きな愛はない。」ヨハネ15:13預言者ジョセフ・スミスは,模範によってわたしたちに愛を教えてくれました。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)