「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -14ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヨブ1:21

そして言った、「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。

 

「どんな状況にあっても感謝する」2014年4月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会

状況は一人一人異なり,誰もが人生の中で他の人と違う経験をします。それでも,わたしは人生で味わう苦痛を取り去ってくれるものがあることを学んできました。人生をもっと幸せと喜びに満ちた,さらには栄光に満ちたものにするために,できることが一つあります。

 

それは感謝することです。

 

悲しみの重荷を負っている人に,神に感謝をささげるように勧めるのは,世の知恵に反しているように聞こえるかもしれません。しかし,つらい思いを脇に置いて感謝の杯を手に取る人は,それを飲むときに癒やしと平安と理解を授かり,清められるのです。

 

キリストの弟子として,わたしたちは「すべてのことについて,主なる〔わたしたちの〕神に感謝し」(教義と聖約59:7。 エペソ5:20; 1テサロニケ5:18;モーサヤ26:39;アルマ7:23;教義と聖約98:1も参照),「主に感謝して歌〔い〕」(詩篇147:7),「神への感謝で心を満た〔す〕」(アルマ37:37)ように命じられています。

 

なぜ神は感謝するようにわたしたちにお命じになるのでしょうか。

 

神の戒めは全て,わたしたちが祝福を受けられるようにするために与えられます。戒めは,選択の自由を行使し,祝福を受ける機会です。愛にあふれる天の御父は,感謝の精神を育むという選択がわたしたちに真の喜びと大きな幸せをもたらすことを御存じなのです。

 

......

 

愛する兄弟姉妹の皆さん,選ぶのはわたしたちです。祝福が欠けていると感じることを理由に,ある程度だけ感謝するという選択もできます。または,感謝の心が決して揺らがなかったニーファイのようになるという選択もできます。家族を約束の地に連れて行くために造った船の上で,ニーファイは兄たちに縄で縛られました。手首と足首は「大きくはれ上が〔って〕」ひどく痛み,激しい嵐のために海の深みにのまれそうになりました。ニーファイは,「それでもわたしは神に頼り,一日中神を賛美し,わたしの遭った苦難のことで主に対してつぶやくことはしなかった‎」と言いました。(1ニーファイ18:10-16参照)

 

また,ヨブのようになるという選択ができます。ヨブは全てを持っているように思われましたが,その後全てを失いました。それでも次のように言いました。「わたしは裸で母の胎を出た。また裸で……帰ろう。主が与え,主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」(ヨブ1:21)

 

モルモンの開拓者のようになるという選択ができます。彼らはグレートソルトレークに向かう苦しい道を進みながら,感謝の精神を持ち続け,歌い,踊り,神の慈しみをあがめました。その困難な旅を経験したなら,わたしたちの多くは,きっと引きこもり,不平を言い,苦しみもだえていたでしょう。(ひどい苦難の中にあっても明るい態度を持ち続けた開拓者の例として,アンドリュー・D・オルセン,The Price We Paid: The Extraordinary Story of the Willie and Martin Handcart Pioneers(2006年),10,366-367を参照)

 

預言者ジョセフ・スミスのようになるという選択ができます。ジョセフはリバティーの監獄の悲惨な状態の中で,霊感あふれる次の言葉を書きました。「親愛なる兄弟たちよ,わたしたちの力の限りすべてのことを喜んで行おう。そして願わくは,その後,わたしたちがこの上ない確信をもって待ち受けて,神の救いを目にし,また神の腕が現されるのを見ることができるように。‎」(教義と聖約123:17)

 

どのようなことがあろうと感謝するという選択ができるのです。

 

このような感謝の精神は,周りで起こっているあらゆることを超越します。それは失望や落胆や絶望に勝るものです。氷で覆われた冬の風景の中でも,夏の気持ち良い暖かな季節と同じように美しい花を咲かせます。

 

自分の置かれた状況 にあって神に感謝するとき,わたしたちは艱難の中で穏やかな安らぎを味わうことができます。悲しみの中で,なお心を高めて神を賛美することができます。痛みの中でも,キリストの贖いによって喜ぶことができます。つらい悲しみがもたらす寒さの中で,天に抱かれたかのようなぬくもりを感じることができます。

 

時々,感謝は問題が解決した 後でするものだと考えることがありますが,それは何と近視眼的な見方でしょう。雨を神に感謝せずに虹を待ち望んでいるようでは,人生においてどれほど多くのものを見過ごしにしていることでしょうか。

 

悩み苦しんでいるときに感謝の気持ちを持つとは,自分の置かれた状況を喜ぶという意味 ではなく,信仰の目で今日の試練の先にあるものを見るという意味 です。

 

口先だけではなく,心から感謝するのです。そのような感謝は,心を癒やし,思いを広げてくれます。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヨブ1:21

そして言った、「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。

 

「万事がわたしたちの益となるように」2024年4月、ゲレット・W・ゴング、十二使徒定員会

わたしは,愛する人たちを巻き込んだ悲惨な交通事故の知らせを受けた日のことをよく覚えています。そのようなとき,信仰と苦悩を抱えながら,わたしたちはヨブの言葉を口にすることしかできません。「主が与え,主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」(ヨブ1:21)

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヨブ1:1

ウヅの地にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。

 

「主の側に立つ」2004年10月、ジェームズ・E・ファウスト、大管長会

苦難に対処する方法ついては,「ウヅの地〔の〕ヨブという名の人」から多くを学ぶことができます。「そのひととなりは全く,かつ正しく,神を恐れ,悪に遠ざかっ〔て〕」(ヨブ1:1)いました。サタンは主の御前から出て行くことを許され,ヨブを誘惑し,試しました。裕福な人で7人の息子と3人の娘があったヨブは,その財産も子供もすべて滅ぼされました。その結果,ヨブはどうなったでしょうか。ヨブは,主についてこう語っています。「見よ,彼はわたしを殺すであろう。それでもわたしは主を信頼しよう。」(欽定訳ヨブ13:15から和訳)「これこそわたしの救となる。」(ヨブ13:16)ヨブはこう宣言します。「わたしは知る,わたしをあがなう者は生きておられる,後の日に彼は必ず地の上に立たれる。わたしの皮がこのように滅ぼされたのち,わたしは肉にあって神を見るであろう。」(欽定訳ヨブ19:25-26から和訳)ヨブは完全に主を信頼し,すべてを神にゆだねていました。

 

人生で喜びを見いだす方法は,ヨブのように,神と神の業のためにすべてを堪え忍ぶと決意することです。そうすることで,救い主とともに永遠に生きるという究極の計り知れない喜びが与えられるのです。よく知られた賛美歌にあるとおりです。

 

主,われに頼るものの霊

敵の手には渡し得ず

地獄,彼に迫るとも

われその霊を見捨てはせず

必ずわれは見捨てず(「主のみ言葉は」『賛美歌』46番)

 

ハワード・W・ハンター大管長はかつて言いました。「神は人の知らないことを御存じであり,人の見ないものを御覧になる。」(『聖徒の道』1988年1月号,63参照) 主の知恵を測り知ることのできる人はいません。主がどうやってわたしたちを現状から望ましい状態に引き上げてくださるのか,前もって正確に知ることはできません。しかし主は,祝福師の祝福の中で大まかな道筋を示してくださいます。永遠の命へと続く人生の旅路には山や谷,分かれ道がたくさんあります。旅の途中には,学んだり,改めたりすることがたくさん出てきます。主はおっしゃいました。「懲らしめに耐えない者は,わたしの王国にふさわしくないのである。」(教義と聖約136:31)「主は愛する者を訓練」(へブル12:6)されるからです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)