「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -16ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エステル4:8-16

 

「どちらを向いていますか」2014年10月、リン・G・ロビンズ、七十人会長会

人に対する面目を保とうとして,知らず知らずのうちに神に対する面目を失うことがあります。神を喜ばせると同時に人の不従順を大目に見ることができるという考え方を中庸とは言いません。そのような人は裏表あるいは二面性のある,もしくは「二人の主人に兼ね仕え」ようとする人です。(マタイ6:24;3ニーファイ13:24)

 

確かに,危機と向かい合うには勇気が必要ですが,真の勇気を示す勲章は,人に対する恐れを克服した者に与えられます。例えば,ダニエルは祈りの力によってライオンに立ち向かうことができましたが,彼が勇猛だったのは,ダリウス王に従わなかったからです。(ダニエル第6章参照)そのような勇気は,祈りをささげた神を恐れる人に授けられる御霊の賜物です。王妃エステルは,祈ることでそれと同じ勇気を得,危険にさらされることを知りながらも,夫であるアハシュエロス王に立ち向かいました。(エステル4:8-16参照)

 

勇気は単なる基本的な美徳の一つではありません。C・S・ルイスは次のように述べています。「勇気は,試練に遭ったとき,すべての美徳がとる形態なのだ。……ピラトは慈悲深くあることによって自らに危険が及びかねない状況になるときまでは,慈悲深い人間であった。」(C・S・ルイス,The Screwtape Letters,改訂版 (1982年), 137-138)ヘロデ王は,バプテスマのヨハネの首を切ってほしいと頼まれて悲しみましたが,「列座の人たち」を喜ばせたいと思いました。(マタイ14:9)ノア王は,アビダナイを釈放しようとしましたが,邪悪な祭司たちの圧力で心がぐらついてしまいました。(モーサヤ17:11,12参照)サウル王は,「民を恐れて,その声に聞き従った」ため,戦利品を捨てず,主の言葉に従いませんでした。(サムエル上15:24)アロンは,シナイ山のふもとで,反抗的なイスラエルをなだめるために,金の子牛の像を造り,どちらを向くべきかを忘れました。(出エジプト第32章)また新約聖書時代の総指揮官たちについて,次のように記されています。「〔主を〕信じた者が多かったが,パリサイ人をはばかって,告白はしなかった。会堂から追い出されるのを恐れていたのである。彼らは神のほまれよりも,人のほまれを好んだからである。」(ヨハネ12:42-43)聖文には,このような例が随所に記されています。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エステル4章

 

「み旨のまま行ゆかん」2002年10月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会

この説教の題は,多くの世代にわたって忠実な主の僕をしてきた、次の賛美歌からとったものです。

 

「山の上や,荒れる

 海を越え行き

 また戦(いくさ)の場にも

 主は召したまわん

 わが知らぬ道へと

 呼ぶ声小(ちい)さくも

 主によりこたえつつ

 み旨のまま行かん」

(「み旨のまま行かん」『賛美歌』172番)

 

末日聖徒ではない女性の詩人によって書かれたこの詩は,あらゆる年代の忠実な神の子どもたちの献身を表しています。

 

息子イサクを連れてモリヤの山へ向かう苦しい旅に出たアブラハムは,主が行くように望まれた場所へ患実に赴きました(創世22章参照)。巨人ゴリアテの挑戦に立ち向かうために,イスラエルの軍隊の前に出て行ったダビデもそうでした(サムエル上17章参照)。自分の民を救うようにという霊感を受けたエステルは,内庭にいた王に進言するために生命の危険を冒しました(エステル4-5章参照)。エルサレムを出発したリーハイ(1ニーファイ2章参照)と,貴重な記録を取りに戻った息子ニーファイ(1ニーファイ3章参照)は,「主よ,み旨のまま行かん」という強い気持ちに突き動かされました。ほかにも多数の例を聖典から引用することができます。

 

こうした忠実な人々は皆,主の導きに従い,主の力と慈愛に対する信仰を示しました。ニーファイはこう説明しています。「わたしは行って,主が命じられたことを行います。主が命じられることには,それを成し遂げられるように主によって道が備えられており,それでなくては,主は何の命令も人の子らに下されないことを承知しているからです。」(1ニーファイ3:7)

 

 

 

Nephi, Go and Do by Jorge Cocco Santangelo

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エステル3:8

そしてハマンはアハシュエロス王に言った、「お国の各州にいる諸民のうちに、散らされて、別れ別れになっている一つの民がいます。その法律は他のすべての民のものと異なり、また彼らは王の法律を守りません。それゆえ彼らを許しておくことは王のためになりません。

 

「勇気を持てるように」(英文)2009年4月、トーマス・S・モンソン大管長

皆さんの多くは、『旧約聖書』のエステルの話をよく知っているでしょう。美しいユダヤ人の少女について記された、大変興味深く、霊感に満ちた話です。エステルは両親を亡くし、年長のいとこのモルデカイとその妻に育てられました。モルデカイはペルシャ王に仕えていました。王が新しい王妃を探していたとき、モルデカイはエステルを宮殿に連れて行き、候補者として差し出しましたが、ユダヤ人であるという素性を隠すよう彼女に勧めました。王はほかのだれよりもエステルを気に入り、エステルを王妃にしました。

 

王宮の大臣の長であったハマンは、モルデカイに怒りを募らせていました。モルデカイがハマンに頭を下げて敬礼しなかったからです。その報復としてハマンは、国中の127の州の中にほかの民と異なる法律を持ち、王の法律に従わない「一つの民」がおり、彼らを滅ぼすべきであると、よこしまな方法で王を説得したのです(エステル3:8参照)。ハマンはこの民の名前を王に告げませんでしたが、それはもちろんユダヤ人であり、モルデカイもその一人でした。

 

王からその件に対処する許可を得たハマンは、各州の知事に手紙を送り、「十二月……の十三日に……すべてのユダヤ人を、若い者、老いた者、子供、女の別なく、ことごとく滅ぼし、殺し、絶や〔す〕」よう命じました(エステル3:13)。

 

モルデカイは侍従を通して、ユダヤ人に関して発布された詔書についてエステルに告げ、民のために王に哀れみを請い願うように頼みました。最初、エステルはためらい、王宮の内庭へ入ることは法律で禁じられているとモルデカイに話しました。そのようなことをすれば罰として殺されるのです。ただし、王がその者に金の笏を伸ばせば生きることができます。

 

躊躇したエステルに送ったモルデカイの応答は的を射たものでした。彼はこのように書きました。

「あなたは王宮にいるゆえ、すべてのユダヤ人と異なり、難を免れるだろうと思ってはならない。

あなたがもし、このような時に黙っているならば、……あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。」(エステル4:13-14)

 

そして、次のような鋭い質問をしたのです。

「あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう。」(エステル4:14)

 

エステルはモルデカイに、すべてのユダヤ人を集め、彼女のために断食するように頼み、彼女と侍女たちも同様にすると言いました。エステルはこう言いました。「わたしは法律にそむくことですが王のもとへ行きます。わたしがもし死なねばならないのなら、死にます。」(エステル4:16)エステルは勇気を振り絞り、正義のためにしっかりと動じないで立ち向かったのです。

 

肉体的にも情緒的にも、また霊的にも準備をしたエステルは王宮の内庭に立ちました。王は彼女を見ると、金の笏を伸ばし、求めるものは何でも与えると言いました。エステルは彼女が設けた酒宴に王を招きました。酒宴の間に、エステルは自分がユダヤ人であることを告げ、国内のユダヤ人を根絶しようとするハマンの悪巧みを暴きました。自分と自分の民を救うよう願ったエステルの嘆願は聞き届けられました(エステル7~8章参照)。

 

エステルは、断食と信仰と勇気によって、民族を救ったのです。

 

皆さんは恐らく、エステルのように、信念のために自分の命を危険にさらすよう求められることはないでしょう。しかし、真理と義を固く守るときに、大きな勇気を求められることがあるでしょう。

 

愛する若い姉妹の皆さん、世の中には絶えず問題がありますが、皆さんが直面するものの多くは、現代特有の問題です。でも、皆さんは天の御父の最も強い子供たちに数えられており、「このような時のため」(エステル4:14)に地上に来るよう取っておかれました。主の助けがあれば、皆さんはどのようなことをも乗り越える勇気を持つことができます。世の中が暗闇のように見えるときがあっても、皆さんは道を照らすかがり火となる福音の光を持っているのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)