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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

申命6:5

あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。

 

「純粋でシンプルなイエス・キリストのまことの福音」2019年4月、M・ラッセル・バラード、十二使徒定員会

福音の第一の原則は,主イエス・キリストへの信仰,悔い改め,バプテスマ,聖霊の賜物を受けること,最後まで耐え忍ぶことです。大管長の兄であるハイラム・スミスは,「福音の第一の原則を宣べ伝えなさい。繰り返し宣べ伝えなさい。そうすればあなたは,日々それらについての新しい考えが明らかにされ,さらなる光が与えられることに気づくでしょう。原則についていっそう深く知ることにより……,それらを明確に理解することができます。そうすればあなたは,教える人々にいっそうはっきりと理解させることができるでしょう」と述べました。(ハイラム・スミスの言葉—「宣教師としてのわたしの目的は何でしょうか『わたしの福音を宣べ伝えなさいー伝道活動のガイド』(2019年),6)

 

教会の霊的な目的を知るためにわたしたちにとって最善の方法は,純粋でシンプルなキリストのまことの教えに従った生活をして,さらに救い主の最も大切な次の二つの戒めを実践することです。「あなた​は​心​を​尽くし……て,主​なる​あなた​の​神​を​愛さなければ​ならない。……あなたは自分自身を愛するように隣人を愛さなければならない。」教義と聖約59:5-6レビ19:18申命6:5;マタイ22:36-40も参照)

 

最も大切なこの二つの戒めに従うことで,さらなる平安と喜びを味わうことができます。主を愛して主に仕え,隣り人を愛して仕えるならば,ほかの方法では感じることのできない幸せを自然に強く感じるようになります。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

申命6:5

あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。

 

「個人の平安を見いだす」2023年4月、ヘンリー・B・アイリング、大管長会

まず,平安の賜物は,主の戒めを守る信仰を持った後に与えられます。聖約を交わした主の教会の会員にとって,従順であることは,自分がそうするとすでに約束していることです。

 

第2に,聖霊が訪れて,わたしたちとともにいてくださいます。わたしたちが忠実であり続けるなら,聖霊がわたしたちの中に宿ると,主は言っておられます。それが聖餐の祈りの約束であり,御霊が伴侶となり,心と思いの中で御霊の慰めを感じることができるということです。

 

第3に,救い主は,わたしたちが聖約を守るのであれば,御父と御子が互いに対して持っておられる愛,またわたしたちに対して持っておられる愛を感じられると約束しておられます。わたしたちは,将来永遠に御二方とともにいる祝福にあずかるときと同じように,現世で御二方を身近に感じることができます。

 

第4に,主の戒めを守るには,従順以上のものが必要です。心,力,思い,精神を尽くして神を愛さなければなりません。申命6:5マタイ22:37モロナイ10:32参照)

 

神を愛さない人は神の戒めを守りません。そのような人には,この世でも来るべき世でも平安の賜物はありません。

 

第5に,主はわたしたちを愛しておられ,わたしたちの罪の代価を払ってくださいました。そのため,わたしたちが主を信じる信仰と悔い改めによって,主の贖罪の効力によって,「人知ではとうてい測り知ることのできない」ピリピ4:7平安の賜物を現世で,また主とともに永遠に得ることができることは明らかです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

申命6:4-7

イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。

あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。

きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、

努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。

 

「管理人の職──聖なる信頼」(英文)2009年10月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会

報告する義務があると感じることは、神を愛せよという最も大切な戒めの一部ですが、これは「強制なさらない御方への服従」とも呼ばれます(ジョン・フレッチャー・モールトンの言葉。申命6:4-7参照)。わたしたちが正しいことを行おうとするのは、天の御父を愛し、御父に喜んでいただきたいからであって、強制されているからではありません。

 

天上での戦いが起こったのは、サタンがすべての人を強制的に従わせると言った後でした。しかし、その言葉は拒否されました。その結果、この世の生活において選択の自由があるのです。しかし、選択の自由には報告の義務が伴います。わたしたちは「裁きの日に自分自身の罪に対する責任を負うようになる」と主は言っておられます教義と聖約101:78。報告の義務と管理人の職の原則は、教会の教義の中で非常に重要です教義と聖約20:71参照)

 

ただし、責任を負うことができる者は皆、悔い改めてバプテスマを受けなければなりません教義と聖約18:42参照)。責任を負うようになる前に死ぬ子供たちは日の栄えの王国に救われます教義と聖約137:10教義と聖約29:46-47,50参照)

 

教会においては、管理人の職は物質面での信頼や責任にとどまりません。スペンサー・W・キンボール大管長はこう教えています。「わたしたちは自分の体、心、家族、財産を管理しているにすぎません。忠実な管理人になるには、義にかなって治め、自己に属するものを世話し、貧しい人乏しい人に目を向ける必要があります。」(スペンサー・W・キンボール「福祉活動:福音の実践」『聖徒の道』1978年2月号,119参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)