この書と『モルモン書』の証を確実なものとするために、わたしたちは、預言者ジョセフ・スミスと祝福師ハイラム・スミスの殉教を発表する。彼らは、千八百四十四年六月二十七日午後五時ごろ、カーセージの監獄において、百五十名から二百名の、顔を黒く塗り武装した暴徒により銃撃された。ハイラムが最初に撃たれ、「わたしは死ぬ」と叫んで静かに倒れた。ジョセフは窓から飛び降りたが、その途中で撃たれ、「おお、わたしの神、主よ」と叫んで死んだ。彼ら二人は死んだ後も残酷に銃撃され、両者とも四個の弾丸を受けた。
「ジョセフ・スミス」2014年10月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
天使が17歳の預言者ジョセフ・スミスを初めて訪れたとき,ジョセフを名前で呼び,こう告げました。自分はモロナイであり,神のみもとから遣わされた使者であって,神がジョセフのなすべき業を備えておられると。自分の名が「良くも悪くもすべての国民,部族,国語の民の中で覚えられる」(ジョセフ・スミス―歴史1:33)と告げられたときのジョセフの気持ちを想像してみてください。ジョセフの目に動揺を見て取ったのか,モロナイは再び,彼が良くも悪くも全ての民の中で語られるようになると告げました。(ジョセフ・スミス―歴史1:29-46参照)
ジョセフ・スミスが良く語られるのは遅く,悪く語られるのはすぐに始まりました。ジョセフはこう書いています。「名もない……少年が……最も激しい迫害……を〔与え〕ようとする思いを……起こすほどの重要人物と思われようとは,何とも不思議なことである。」(ジョセフ・スミス―歴史1:23)
ジョセフを愛する人々が増える一方,敵意を抱く人々も増えていきました。38歳のとき,彼は顔を黒く塗った150人の暴徒によって殺害されました。(教義と聖約135:1参照)預言者の生涯は突然絶たれましたが,ジョセフの名は良くも悪くも末永く語られるようになりました。
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預言者ジョセフ・スミスについての証が与えられる方法は,人それぞれ違うかもしれません。それを得られるのは,ひざまずいて祈り,彼が真の預言者であったことを確認してくださるよう神に願い求めているときかもしれません。最初の示現について語る預言者の言葉を読んでいるときかもしれません。モルモン書を繰り返し読むうちに,証が少しずつ心に蓄えられるからかもしれません。預言者について自分の証を述べるときかもしれませんし,神殿にいて,地上に神聖な結び固めの権能が回復されたのはジョセフ・スミスを通してであったと気づくときかもしれません。※ 信仰を持ち誠心誠意願うならば,預言者ジョセフ・スミスについての皆さんの証は強められます。第三者がひっきりなしに投げつける水風船によって濡れることはあっても,赤々と燃える皆さんの信仰の火を消すようなことは決してさせてはなりません。
※ゴードン・B・ヒンクレー大管長は次のように語っている。「ずっと昔,わたしは12歳で執事に聖任されたとき,当時ステーク会長だった父に連れられて初めてのステーク神権会に出席しました。〔開会の歌は『たたえよ,主の召したまいし』でした。〕預言者ジョセフ・スミスについて歌っている神権者の声を聞いているとき,この時代の偉大な預言者への愛と確信が胸に押し寄せてきました。……そのとき,聖霊の力によって,わたしはジョセフ・スミスが確かに神の預言者であることを知ったのです。」(“Praise to the Man,” Ensign ,1983年8月号)


