「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -135ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

2024年大管長会クリスマス・ディボーショナル

 

週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ2:2

ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東の方でその星を見たので、その方を拝みに来ました。

 

「贈り物」(英文)1993年4月、トーマス・S・モンソン、大管長会

我が家の片隅に、握り部分を銀のめっきを施した小さな黒いつえがしまってあります。かつては遠い親戚の人が使っていたものですが、私が60年もの間それを取っておいたのはなぜだと思いますか。これには特別な理由があります。まだ幼いころ、ワード部のクリスマス劇に出たことがありました。3人の博士のうちのひとりの役をもらった私は、頭にはスカーフを巻き、肩には母のピアノの椅子カバーを羽織り、手にはその黒いつえを持って、自分のせりふを言いました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、その方を拝みにきました。」マタイ2:2今ではその劇のせりふの一部しか覚えていませんが、3人の博士になって星を見上げ、舞台の上を歩き回り、幼子イエスを抱いたマリヤを見つけ、ひざまずいてイエスを拝し、そして黄金・乳香・没薬などの贈り物を捧げた時に感じた気持ちは、今も鮮明に心に残っています。

 

私はとりわけ、私たち3人の博士が幼いイエスを裏切って邪悪なヘロデ王の所へ戻らず、神に従って違う道を行くという筋書きが大好きでした。

 

瞬く間に時は過ぎ去り、忙しい日々の出来事もいつしか思い出に変わっていきます。しかし、あのクリスマスのつえは、今も変わらず我が家の特別な場所にしまってあり、そして、キリストに従うという強い決意は心の中に秘められています。

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

2024年大管長会クリスマス・ディボーショナル

 

週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ1:23

「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。

 

「キリスト―闇の中に輝く光」2019年4月、シャロン・ユーバンク、中央扶助協会会長会

わたしたち個人の光は木につるしてある電球の一つに過ぎないかもしれません。それでもその小さな光を輝かせるとき,すべての電球が合わさることにより,クリスマスのときのテンプル・スクウェアがそうであるように何百万もの人を主の宮へと招くのです。とりわけ,ネルソン大管長が勧めているように,わたしたちは聖約を守るという単純な行いによって,わたしたち自身とわたしたちとって大切な人々に救い主の光をもたらすことができます。様々な方法によって,主はその信仰深い行いに力と喜びで報いてくださいます。モーサヤ27:14参照)

 

皆さんが愛されていることを証します。主は,皆さんがどれほど一生懸命に努力しているかを御存じです。皆さんは進歩しています。前進し続けてください。主は皆さんの隠れた犠牲のすべてを御覧になり,あなたとあなたが愛する人に報いてくださいます。あなたの働きが無駄になることはありません。あなたは独りではありません。主の名前であるインマヌエルは,まさに「神われらと共にいます」という意味です。マタイ1:23主は確かに皆さんとともにおられます。

 

暗くて遠くが見えないとしても,聖約の道をもう数歩進みましょう。光が戻って来るでしょう。イエスの言葉に真理があり,光に満ちていることを証します。「すなわち,わたしに近づきなさい。そうすれば,わたしはあなたがたに近づこう。熱心にわたしを求めなさい。そうすれば,あなたがたはわたしを見いだすであろう。求めなさい。そうすれば,与えられるであろう。たたきなさい。そうすれば開かれるであろう。」教義と聖約88:63イエス・キリストの御名によって,アーメン

 

 

 

2024年大管長会クリスマス・ディボーショナル

 

週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ1:21

彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。

 

「橋を架ける者」2003年10月、トーマス・S・モンソン、大管長会

老人は人跡まれな道を行き、

冷たく寂しいたそがれ時に、

深くて広い谷に行き着いた。

そこには緩やかな流れが横たわっていた。

薄暗いたそがれの中を老人は渡った。

その緩やかな流れは、

老人にとって恐れるべきものではなかった。

ところが無事対岸に立った彼は、

振り返ると、

流れを渡る橋を架けた。

「ご老人よ」、

そばで一人の旅仲間が言った。

「ここに橋を架けるなど、

体力の無駄遣いです。

あなたの旅はほとんど終わりに近づいています。

もう二度とこの道を通ることもない。

あなたはすでに、

深くて広い谷を渡り終えたではありませんか。

なぜこんな夕暮れに

橋を架けるのですか?」

橋を架ける者は、

老いた白髪の頭を上げた。

「良き友よ、

わたしが歩んで来た道には、

わたしの後に続く若者がいる。

彼もこの道を通らねばならない。

わたしにとって何でもなかったこの谷も、

あの金髪の若者にとっては、

危険な落とし穴となるかもしれない。

彼もまた、薄暗いたそがれの中で

渡らねばならない。

良き友よ、わたしは彼のために

橋を架けているのだよ。」(ジェームズ・ダルトン・モリソン編,Masterpieces of Religious Verse,(1948年),342)

 

この詩が持つメッセージに,わたしは啓発され,心を慰められてきました。なぜなら主であり救い主であるイエス・キリストこそ,皆さんやわたし,全人類のための,最も偉大な橋の設計者であり建造者であられたからです。主は橋を架けてくださっており,もしわたしたちが天の家まで帰るつもりであるならば,その橋を渡らなければなりません。

 

救い主の使命は預言されていました。マタイはこう記録しています。「彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は,おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」マタイ1:21

 

続いて主の誕生という奇跡が起き,その馬屋へ,その母親のもとへ,その幼子おさなごのもとへと,羊飼いたちが急いでやって来ました。さらにはあの星を追って,東から旅をして来た博士たちが,幼子に高価な贈り物をささげました。

 

聖文には,イエスは「ますます成長して強くなり,知恵に満ち,そして神の恵みがその上にあった」,ルカ2:40 また主は「よい働きをしながら……巡回」使徒10:38 されたと記録されています。

 

主はこの死すべき世でどのような独自の橋を架けて渡り,従うべき道を示されたでしょうか。主は死すべき世が危険と困難に満ちた場所となることを御存じでした。主は次のように宣言しておられます。「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから,わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく,わたしの荷は軽いからである。」マタイ11:28-30