「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -122ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約3:7

見よ、あなたは人を神よりも恐れてはならなかった。たとえ人々が神の勧告を無視し、神の言葉を軽んじても、

 

「信仰を表す」2014年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

1986年に,トーマス・S・モンソン大管長はこう語っています。「もちろん,恐れを感じ,嘲弄され,反発に遭うこともあるでしょう。しかし,多数意見に対抗する勇気,原則を守る勇気を持とうではありませんか。勇気は神の承認の笑みをもたらしますが,妥協にはそれがありません。……恐れを抱いていない人は誰もいません。しかし,〔信仰をもって〕その恐れに立ち向かう人こそが勇気ある人と言えるのです。このことを忘れてはなりません。」

 

モンソン大管長の助言は,不朽のものです。ですから,兄弟姉妹の皆さんにお願いします。来る日も来る日も,永遠の行く末に向かう道を歩む中,信仰を増してください。信仰を宣言してください。信仰を表してください。(「神の御心に添わないものをすべて拒みなさい。」(モロナイ10:32)神よりも人を恐れるようなことがあってはならない(教義と聖約3:759:5参照))

 

皆さんが神にしっかりと結ばれるように,また神の永遠の真理が皆さんの心にいつまでも刻まれるように祈ります。皆さんの生涯を通じて,皆さんが自らの信仰を表すことができるように祈ります。イエス・キリストの御名により,アーメン

 

※トーマス・S・モンソン「勇気が必要である」『聖徒の道』1987年1月号,47。別の機会に,モンソン大管長は,次のような霊感あふれる勧告を与えている。「立派に生きるために,わたしたちは困難に勇気をもって,落胆にほほえみをもって, 勝利に謙遜をもって当たる能力を伸ばさなくてはなりません。……わたしたちは生ける神の息子,娘です。神の形に創造された者です。……わたしたちがこの確信を得たならば, 強さと力を, 神の戒めに従う強さとサタンの誘惑に抗する力を,新たに深く感じないではいられないはずです。」(「灰色の羽のカナリヤ」『聖徒の道』1973年11月号,520参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約3:6

また見よ、あなたは何としばしば神の戒めと律法に背き、人々の説き伏せに乗ってきたことか。

 

「ジョセフー人として預言者として」(英文)1996年4月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会

最初の示現を受けた後の10代の自分について、ジョセフはこう書き残しています。「わたしは、……しばしば多くの愚かな誤りを犯し、若者としての弱さと人間性の至らなさを示した。遺憾ながら、このために神の目にかなわないさまざまな誘惑に誘い込まれた。」彼はこの行いには「何か大きな罪、すなわち憎むべき罪」は含まれていないことを急いで付け加えています。それは「このような罪を犯す性質など、決して〔ジョセフ〕にはなかった」からですジョセフ・スミス―歴史1:28

 

ジョセフが自分の欠点に関して率直だったことは、最初に記して世に出版した啓示の一つが、主から彼の受けた叱責の言葉だったという事実からも明らかです。22歳のジョセフがマーティン・ハリスの懇願に負けて『モルモン書』の翻訳原稿を貸したために、最初の116ページを紛失してしまったのです。主は「見よ、あなたは何としばしば神の戒めと律法に背き、人々の説き伏せに乗ってきたことか」教義と聖約3:6と述べられました。さらに、ジョセフに悔い改めなければ預言者としての役割を剥奪するとまで警告されました。同じく預言者によって出版された後の4つの啓示では、ジョセフに「悔い改めてわたしの前をさらにまっすぐに歩」むよう命じ教義と聖約5:21、彼が「罪を犯し」教義と聖約64:790:1参照)たことに言及し、戒めを守らなかったことを叱責しています教義と聖約93:47参照)

 

預言者ジョセフには、主の民の預言者として、また指導者として手本とする人物がいませんでした。彼は天使たちと、自らに与えられた独自の霊の賜物によって学びました。彼が頼らなければならなかった同僚たちにも手本になる人物はいませんでした。彼らは悩みながらともに学びましたが、預言者の進歩の速さには目を見張るものがありました。

 

ジョセフが聖徒たちに人間の不完全さについて警告したときも、自分を彼らの上に置くことはありませんでした。聖徒たちはそんな彼を愛しました。ノーブーに到着したばかりの聖徒の一団に向かい、ジョセフは聖徒たちには、すべてがうまく運ばないときに不満を抱く傾向があることを警告しました。ジョセフを知る人はこう書き残しています。「ジョセフは言った。『わたしはただの人であって、わたしに完全を期待することはできない。もし、わたしに完全であるように期待するのなら、わたしも彼らに完全であることを期待すべきであろう。逆に、彼らがわたしの欠点について忍耐してくれるなら、わたしも同じように彼らの欠点を忍耐しようと思う。』」The Papers of Joseph Smith, ジョセフ・スミス文書、日誌、1832-1842年、デイーン・C・ジェシー編、2:489)

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約3:4

たとえある人が多くの啓示を受け、多くの力ある業を行う力を持つとしても、もし自分の力を自慢し、神の勧告を無視して、自分の思いと肉の欲望が命じることに従うならば、彼は必ず落ちて、公正な神の報復を自分に招くであろう。

 

「信仰も大いなる業も誇らず」(英文)1990年4月、マービン・ J・アシュトン、十二使徒定員会

「右の手のしていることを左の手に知らせるな」マタイ6:3という教訓がよく引き合いに出されます。混乱し、悩み、疲れ切っている同胞に慰めやいたわりや助言を与えるときに、特にこのことが言えます。人を助けて、それがどのように効を奏したとしても、普通は黙っているべきで、ましてやそれを誇示すべきではありません。諺で言われるように、静かな愛ある行いは報いを求めなくてもよいほど、自らの心を満たすものであり、そのことを人から指摘される必要はありません。

 

「たとえある人が多くの啓示を受け、多くの力ある業を行う力を持つとしても、もし自分の力を自慢し、神の勧告を無視して、自分の思いと肉の欲望が命じることに従うならば、彼は必ず落ちて、公正な神の報復を自分に招くであろう。」教義と聖約3:4

 

かりそめの成功を自分の技量と労力だけで勝ち得たものと考えることは、なんと陥りやすい過ちでしょう。すべての良いものは主からもたらされるのです。末日聖徒としてふさわしい人は、相手の気持ちを思いやることを常に大切にする人です。たくさんの子供たちに恵まれたこと、伝道に出た宣教師、子供たちの神殿結婚、家族の立派な働きを喜びに思うのは当然ですが、こうした祝福をまだ受けていない人々は、罪の意識や無力感を抱いているかもしれません。私たちが自慢している祝福を求めて、彼らは長い間熱心に祈っているかもしれないのです。また、自分たちが神の恵みからもれていると感じているかもしれません。

 

このようなわけで、私たちは受けた祝福に心から感謝し、それをたびたび天父に伝えるべきですが、周囲の人々にはあまり頻繁にそれを言うべきではありません。

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)