「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -11ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

詩篇49:15

しかし神はわたしを受けられるゆえ、

わたしの魂を陰府の力からあがなわれる。

 

「贖い」2011年10月、リグランド・R・カーティス・ジュニア、七十人

エホバがイスラエルの民を束縛から贖われたという主題については,聖典に何度も繰り返し登場します。この主題がこれほどまでに繰り返されるのは,多くの場合,主の愛によってイスラエルの民がエジプトから解放されたことを人々に思い起こさせるためですが,イスラエルにとってもう一つの,さらに大切な贖いが存在することを教えるためでもあります。リーハイは教えました。「そして時が満ちると,人の子らを堕落から贖うためにメシヤが来られる。」(2ニーファイ2:26)

 

詩篇の作者はこう書いています。「しかし神は……わたしの魂を陰よ府みの力からあがなわれる。」(詩篇49:15)

 

主はイザヤを通じてこう宣言しておられます。「わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い,あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ,わたしはあなたをあがなったから。」(イザヤ44:22)

 

この3つの聖句で使われている「あがない」という言葉は,もちろん,イエス・キリストの贖罪を意味しています。わたしたちの愛にあふれた神が用意してくださった「豊かなあがない」のことです(詩篇130:7)。モーセの律法や現代の合法的な取引による贖いとは異なり,この贖いは「銀や金のような朽ちる物によった」ものではありません(1ペテロ1:18)。「わたしたちは,〔キリスト〕にあって,神の豊かな恵みのゆえに,その血によるあがない,すなわち,罪過のゆるしを受けた」のです(エペソ1:7)。ジョン・テーラー大管長の教えによれば,贖い主の犠牲があったからこそ,「負債は支払われ,贖いはなされ,聖約は成就し,正義は満たされ,神の御心は行われ,……すべての力は神の御子の手に渡されました。」(『歴代大管長の教え-ジョン・テーラー』〔2001年〕44)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

詩篇8:4-5

人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、

人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。

ただ少しく人を神よりも低く造って、

栄えと誉とをこうむらせ、

 

「良い方を選ぶ」(英文)1984年4月、マービン・J・アシュトン、十二使徒定員会

周囲の状況がどうあれ、自分の理想とする人物になれるよう決意してください。人生における第一の課題は、「私は何者なのか」を学び、それを受け入れ、自分のものにすることです。

 

この質問について聖典と教会の教えを注意深く調べるならば、一人一人が、そしてすべての人が大切な存在であることが明らかになるでしょう。自己に対する良いイメージを持つことは、人生に立ち向かううえで最も大切で欠くことのできないステップです。私たちは、他人から吹き込まれた事だけで、自分はそういう人間だと思い込んでしまうことがよくあります。教会の内にも外にも、神から愛されていない女性はいません。ひとりもいないのです。

 

詩篇8篇4、5節にこう記されています。「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせ……。」(詩篇8:4-5)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

詩篇8:3-9

わたしは、あなたの指のわざなる天を見、

あなたが設けられた月と星とを見て思います。

人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、

人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。

ただ少しく人を神よりも低く造って、

栄えと誉とをこうむらせ、

これにみ手のわざを治めさせ、

よろずの物をその足の下におかれました。

すべての羊と牛、また野の獣、

空の鳥と海の魚、海路を通うものまでも。

主、われらの主よ、あなたの名は地にあまねく、

いかに尊いことでしょう。

 

「イエス・キリスト―偉大な癒し主」2005年10月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

愛弟子ヨハネはこう宣言しました。「見よ,世の罪を取り除く神の小羊。」 (ジョセフ・スミス訳ヨハネ1:29)何という力でしょう。偉大な癒し主以外に,世の罪を取り除くことのできる人はいません。わたしたちは主に計り知れない恩義を受けているのです。

 

宣教師のグループに話したときの経験をよく覚えています。質問はないか尋ねると,一人の長老が立ち上がりました。長老は目に涙を浮かべながら言いました。「イエスはどうしてあれほど苦しまれなければならなかったのですか。」わたしは賛美歌集を開いて,「わが主よ,わが神」の歌詞を読むように頼みました。彼は読み始めました。

 

主イエスを遣わせし父

その愛,悟り難し

十字架染めし主の血は

わが罪,洗い清む

(『賛美歌』44番。詩篇8:3-9;9:1-2;モーサヤ4:5-13も参照)

 

それから,この長老に「敬い崇め」の歌詞を読んでもらいました。これらの歌詞には特に胸を打つものがあります。なぜなら,尋ねられたまさしくその質問に対して主御自身であればこうお答えになるであろうという言葉が提示されているからです。

 

敬い崇め 頭べを下げて

救われし者 わが業思え

血の汗をもて 十字架の上に

汝らの罪 贖いにけり

思い出せ汝なが罪の贖い

カルバリのわが 

苦しみの死を

(『賛美歌』104番。教義と聖約19:16-19;45:3-5も参照)

 

イエスは,その深い愛のゆえに深い苦悩を味わわれました。主はわたしたちが悔い改め,改心するよう望んでおられます。完全な癒しを与えられるようにするためです。

 

つらい試しに遭うとき,(「部屋を出る前に」『賛美歌』78番,3節参照) 神への信仰を深め,熱心に働き,周りの人に仕えるべきです。そうするときに主は傷ついた心を癒してくださいます。そして一人一人に平安(ヨハネ14:27参照) と慰め(イザヤ40:1;ヨハネ14:16-17,26参照) を授けてくださるのです。これらの偉大な賜物は,死をもってしても損なわれることはありません。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)