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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アブラハム1:11

さて、この祭司は、かつてこの祭壇上で三人のおとめをささげた。このおとめたちは、ハムの直系の王家の一人であるオニタの娘たちであった。このおとめたちはその節操のゆえにささげられたのである。彼女たちは木や石の神々をひれ伏して拝もうとしなかったために、この祭壇上で殺された。そして、それはエジプト人の流儀に従って行われた。

 

「愛の腕の中に抱かれて」2002年10月、ニ一ル・A・マックスウェル、十二使徒定員会

イエスの弟子であるというわたしたちの特質は,失意や太陽の暑さによって枯れてしまったり,「まともに仕掛けられる」この世的な対立など,人を愕然とさせるような社会悪を目にして「打ちひしがれ」モロナイ9:25たりするようなものであってはなりませんアルマ32:38参照)

 

わたしたちはこの世にあるとき,時には恐れて身を引くことがあるかもしれません。しかしイエスは,ゲッセマネでもカルバリでも身を引こうとはなさいませんでした。「人の子らのために……備えを終え」られたのです教義と聖約19:19

 

信仰や忍耐をはじめとする試しについても同じことが言えます。試しはだれにもあります。種類が違うだけですモーサヤ23:21参照)。この霊的な意味での柔軟体操には,幸せになるための,また人に仕えるためのわたしたちの力を増し加える目的があります。忠実な人であっても,この世での出来事から完全に逃れることはできません。だからこそ,危機に瀕したシャデラク,メシャク,アベデネゴの勇気ある態度は,わたしたちが見習うべきものだったと言えます。彼らは神が自分たちを助け出してくださることを知っていました。しかし,「たとえ〔助け出され〕なくても」,神に仕える気持ちに変わりはないと彼らは誓ったのですダニエル3:16-18参照)。同様に,時代遅れながらも必須の第1と第7の律法を守ることが,古代においてあの3人のおとめが示した勇気を再現するものと言えましょう。彼女たちは命をかけて「いいえ」と言いましたアブラハム1:11参照)

 

ですから,たとえ四方から艱難が押し寄せても,わたしたちをキリストの愛から引き離すことはできないのです2コリント4:8ローマ8:35-39参照)。この世的な不安は,「熱心に……携わ〔っている〕」ことの一部ではありません教義と聖約58:27参照)。たとえそうだとしても,神は確かにわたしたちを顧みてくださるのですから,ペテロの勧告のように,思い煩いは主にゆだねることができますし,そうすべきです1ペテロ5:7参照)。ああ,兄弟姉妹の皆さん,主を信頼し,すべてをゆだねることほどわたしたちを束縛から解き放ってくれるものはありません。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アブラハム1:7,15,20

そこで、彼らは異教徒の犠牲にその心を向けて、これら口の利けない偶像に彼らの子供たちをささげ、わたしの声を聴こうとせず、エルケナの祭司の手によってわたしの命を取ろうとした。エルケナの祭司はまた、パロの祭司であった。 彼らがわたしをささげて命を取るために、その手をわたしの上に振り上げたとき、見よ、わたしは主なる神に声を上げた。すると、主は耳を傾けて聞いてくださり、全能者の示現でわたしを満たしてくださった。そして、主の前の天使がわたしの傍らに立ち、直ちに縄を解いてくれた。 見よ、ポテパルの丘は、カルデヤのウルの地にあった。主はエルケナの祭壇とその地の神々の祭壇を壊し、それらを完全に破壊し、祭司を打たれたので、彼は死んだ。そして、カルデヤに、またパロの宮廷に大きな嘆きがあった。パロとは、王族の血統による王を意味する。

 

「わたしたちと神との関係」2022年4月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会

神を信頼し,現世で,あるいは死後に,主の約束された祝福を受けられると確信していた,忠実な男女の例について考えてみてください。彼らの信仰は,特定の状況において神がなさったことやなさらなかったことに基づいたものではなく,主が愛に満ちた御父でありイエス・キリストが忠実な贖い主であられるという知識に基づいたものでした。

 

アブラハムは,エジプトのエルケナの祭司によってまさにいけにえにされそうになったとき,神に救いを叫び求め,助けられました。アブラハム1:7,15,20参照)アブラハムは生きながらえて忠実な者たちの父祖となり,その子孫を通して地上のあらゆる家族が祝福を受けることとなりました。アブラハム2:11参照)それより以前,まさにこの同じ祭壇で,その同じエルケナの祭司が3人のおとめをささげました。彼女たちが「その節操のゆえに……木や石の神々をひれ伏して拝もうとしなかった」アブラハム1:11からです。彼女たちはその場で殉教しました。

 

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結局のところ,わたしたちが求めているのは,御父と御子との親密でいつまでも続く関係という祝福です。それはすべてを変えますし,永遠に代価を払う価値があります。わたしたちはパウロとともに,こう証するでしょう。「今の〔現世の〕この時の苦しみは,やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると,言うに足りない。」ローマ8:18わたしは証します。現世での経験がどのようなものであろうと,わたしたちは神を信頼し,神に喜びを見いだすことができます。

 

「心をつくして主に信頼せよ,自分の知識にたよってはならない。

すべての道で主を認めよ,そうすれば,主はあなたの道をまっすぐにされる。」箴言3:5-6

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アブラハム1:3

それは先祖からわたしに授けられた。それは先祖から、時の初めから、まことに初めから、すなわち地が造られる前から現在まで伝わったものである。それは長子、すなわち最初の人、すなわちアダム、すなわち最初の先祖の権利であり、先祖たちを通してわたしに至ったものである。

 

「堅固な土台」2002年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

世界が創造される以前に、わたしたちは霊の子どもとして天の御父とともに存在していました。その中で高潔で偉大な者たちは神権を受けるように予任されました。 アルマ13:3、5、7;教義と聖約132:28;138:55-56アブラハム3:22-23参照)アブラハム アブラハム3:23参照)、エレミヤエレミヤ1:4-5参照) 、ジョセフ・スミス2ニーファイ3:5-15;教義と聖約127:2;138:53-55参照) をはじめとする人々教義と聖約138:53参照) は神の預言者となるよう定められました。この聖なる大義のために預言者たちの血が流されることも予見されていました。ルカ11:49-51参照) 「時の初めから、……すなわち地が造られる前から」神権は先祖から授けられてきました。アブラハム1:3

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)