「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -12ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

詩篇8:3-5

わたしは、あなたの指のわざなる天を見、

あなたが設けられた月と星とを見て思います。

人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、

人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。

ただ少しく人を神よりも低く造って、

栄えと誉とをこうむらせ、

 

「忘れな草」2011年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会

姉妹の皆さん,皆さんがどこにいようと,どのような状況であろうと,皆さんは忘れられていません。どんなに暗い人生に思えようと,自分がどれほど取るに足りない人間に思えようと,自分のことをどんなに影の薄い存在だと考えようと,天の御父はあなたを忘れてはおられません。御父はあなたを限りなく愛しておられます。

 

考えてみてください。宇宙で最も偉大で力と栄光に満ちた御方があなたを御存じで,覚えておられるのです。無限の空間と永遠の時を治める王にあなたは愛されているのです。

 

もろもろの星を造り,それらを御存じの御方があなたとあなたの名前を知っておられるのです。皆さんは神の王国の娘です。詩篇にはこうあります。

 

「わたしは,あなたの指のわざなる天を見,あなたが設けられた月と星とを見て思います。

人は何者なので,これをみ心にとめられるのですか,……。

ただ少しく人を神よりも低く造って,栄えと誉ほまれをこうむらせ〔られました。〕」(詩篇8:3-5)

 

神があなたを愛しておられるのは,あなたが神の子供だからです。あなたが時々孤独を感じても,間違ったことをしても,神はあなたを愛しておられます。

 

神の愛と回復された福音の力は,わたしたちを贖い,救います。神の神聖な愛が生活に入り込むだけで,どんな傷も手当てがなされ,どんな痛みも癒いやされ,どんな悲しみも和らげられます。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

詩篇8:3-4

わたしは、あなたの指のわざなる天を見、

あなたが設けられた月と星とを見て思います。

人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、

人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。

 

「すべての人を愛し、一人一人を愛する」2026年4月、ジェラルド・コセー、十二使徒定員会

何年も前、美しい田園地帯で静かな時間を過ごしていたとき、日没後に外に出てラウンジチェアで休んでいました。夜は真っ暗になり、ほとんど何も見えませんでした。思わず顔を上げると、ちらちらと揺らめく小さな光の点が一つ、また一つと目にとまりました。暗闇に目が慣れてくると、そこには満天の星空が広がっていました。

 

「これはまるで神との関係に似ている」と思いました。神は遠い存在で、その結果人生が重く感じられると考える人もいます。しかし、生活の中におられる神の存在について立ち止まって考えるなら、神が近くに、静かにそこにおられることに気づくことでしょう。想像するよりもはるかに近くにおられるのです。

 

このことについて深く考えていると、ダビデの詩篇の中の一つの問いが心に浮かびました。

 

「わたしは、あなたの指のわざなる天を見、……月と星とを見て思います。

人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか。」(詩篇8:3-4)

 

それに続く答えは、深い慰めを与えてくれます。「ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせ〔る〕。」(詩篇8:5。1ニーファイ11:17;モーセ1:24-39も参照)

 

これは、神とわたしたちとの奇跡の関係です。宇宙は理解を超えるほどに広大であっても、人の価値は創造主の目から見て無限なのです。わたしたちは肉体的には小さな存在に思えますが、永遠の御父と御子イエス・キリストはわたしたち一人一人を個人的に御存じで、覚えておられ、愛しておられます。(Gérald Caussé, “We Are the Architects of Our Own Happiness” (Church Educational System devotional for young adults, Nov. 4, 2012), Gospel Library参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

詩篇2:1

なにゆえ、もろもろの国びとは騒ぎたち、

もろもろの民はむなしい事をたくらむのか。

 

「また逢あうまで」2001年10月、ゴードン・B・ヒンクレー大管長

さて、今日、わたしたちは特別な問題に直面しています。深刻で、痛切かつ困難な問題であり、わたしたちにとって大きな関心事となっています。確かにわたしたちは主を必要としています。

 

昼食を取るため帰宅したとき、わたしはテレビのスイッチを入れ、しばらくの問ニュースを見ておりました。そして、詩篇にある言葉を次のように心の中で言い換えてみたのです。「なにゆえ、もろもろの国はかくも荒々しくともに騒ぎ立つのか。」(詩篇2:1参照)わたしは20世紀のあらゆる戦争を生き抜いてきました。いちばん上の兄は第一次世界大戦の犠牲者として、フランスの土に眠っています。わたしは第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、そして小規模の紛争を生き抜いてきました。紛争の中では、人は互いに大変争い好きでかたくなな民になっていました。わたしたちは主の方に顔を向け、主に頼る必要が大いにあります。わたしはキプリングの次の偉大な言葉について考えています。

 

はるかかなたに遠征した我らの海軍は消え去り、
砂丘と岬に戦火はやむ。
見よ、我らの昨日のすべでの華やかさは
ニネべとツロとともにある。
万国の裁き主よ、しばし我らを助けたまえ。
我らが主を、忘れぬために。
(ラドヤード・キプリング、“Recessional” Masterpieces of Religious Verse, シェームズ・ダルトン・モリソン編〔1948年〕512)

 

わたしたちの安全は生活の徳高さにかかっています。わたしたちの強さは義の中に存在しています。神は次のことを明確にされました。すなわち、わたしたちが神を捨てなければ、神はわたしたちを見捨てられないということです。イスラエルを見守る御方はまどろむことも、眠ることもなさいません(詩篇121:4参照)。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)