「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -10ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

大管長会クリスマス・ディボーショナル

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

信仰箇条1:3

わたしたちは、キリストの贖罪により、全人類は福音の律法と儀式に従うことによって救われ得ると信じる。

 

「公正に振る舞い,憐れみを愛し,へりくだって神とともに歩む」2020年10月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会

天の御父とイエス・キリストからの祝福なくして,独力では,行いの面でも人格の面でも救いに足る状態に到達することはあり得ません。しかしながら,良い知らせがあります。イエス・キリストのおかげで,また主を通じて,わたしたちは救いに足る者となることができるのです。アルマ41:8モロナイ10:32-33参照)すべての人は,イエス・キリストの死と復活を通じて,神の恵みにより,肉体の死から救われます。1コリント15:22アルマ11:42-45参照)また心を神に向けるなら,「〔イエス・〕キリストの贖罪により,……福音の律法と儀式に従うことによって」,信仰箇条1:3あらゆる人が霊の死から救われ得るのです。わたしたちは罪から贖われ,神の御前に清く,汚れのない状態で立つことができます。ミカはこう説明しています。「人よ,〔神〕はさきによい事のなんであるかをあなたに告げられた。主のあなたに求められることは,ただ公義をおこない,いつくしみを愛し,へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。」ミカ6:8。同様の勧告についてはアルマ41:14教義と聖約11:12信仰箇条1:13を参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

大管長会クリスマス・ディボーショナル

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

信仰箇条1:3

わたしたちは、キリストの贖罪により、全人類は福音の律法と儀式に従うことによって救われ得ると信じる。

 

「救い主はわたしたちのために何をしてくださったのでしょうか」2021年4月、ダリン・H・オークス、大管長会

救い主は,わたしたちの試練や苦闘,心痛,苦痛を感じ,知っておられます。贖罪の一部として,それらをすべて進んで経験されたからです。ほかの聖句もこの真理を支持しています。新約聖書はこう宣言しています。「主ご自身,試錬を受けて苦しまれたからこそ,試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」(へブル2:18)イザヤはこう教えています。「恐れてはならない,わたしはあなたと共にいる。……わたしはあなたを強くし,あなたを助け……る。」イザヤ41:10何であれ死すべき状態の弱さに苦しんでいるすべての人は,救い主がこの種の苦痛を経験し,贖罪を通じて,それに耐える強さを与えてくださることを忘れてはなりません。

 

預言者ジョセフ・スミスは,信仰箇条第3条でこれを要約しています。「わたしたちは,キリストの贖罪により,全人類は福音の律法と儀式に従うことによって救われ得ると信じる。」

 

あの姉妹はこう尋ねました。「イエス・キリストはわたしのために何をしてくださったのですか。」天の御父の計画の下で,主は「天と地を創造し」教義と聖約14:9,わたしたちが神聖な行く末を求めるために必要な,この世の経験を得られるようにしてくださいました。御父の計画の一部として,イエス・キリストの復活が死を克服して,すべての人の不死不滅を確実にしました。イエス・キリストの贖いの犠牲は,罪を悔い改めて聖められ,天の家へ戻る機会を与えてくれます。主の戒めと聖約はその方法を示し,主の神権はわたしたちの行く末を実現するために不可欠な儀式を執行する権能を与えます。そして救い主は,弱さのあるわたしたちを強める方法を知るために,この世のあらゆる痛みと弱さを進んで経験されました。

 

イエス・キリストがこれを行われたのは,神のすべての子供を愛しておられるからです。愛はすべての動機であり,時の初めからそうでした。現代の啓示の中で,神はこう告げられました。「神は人を……御自分の形に……男と女に創造された。そして,神は彼らに……御自分を愛し,御自分に仕えるようにとの……戒めを与えられた。」教義と聖約20:18-19

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

大管長会クリスマス・ディボーショナル

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

信仰箇条1:2

わたしたちは、人は自分の罪のゆえに罰せられ、アダムの背きのゆえには罰せられないことを信じる。

 

「そこで彼らは恐れを静め」2015年4月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会

わたしたちがよく経験する恐れとは異なるものの,関連があるのが,聖文の中で「恐れかしこ〔む〕」ことヘブル12:28,つまり「主を恐れること」ヨブ28:28箴言16:6イザヤ11:2-3と表現されているものです。恐怖や不安を生じるこの世の恐れとは異なり,主を畏れることは平安と確信と自信の源です。

 

しかし,恐れと関連しているものがどうして人を教化し,霊的な助けとなり得るのでしょうか。

 

ここで説明しようとしている義にかなった畏れには,主イエス・キリストに対して深い崇敬と尊敬と畏敬の念を抱き詩篇33:896:4参照),主の戒めに従い申命5:298:610:1213:4詩篇112:1参照),最後の裁きと主の御手に正義を待ち望むことが含まれます。このように,主への畏れは主イエス・キリストの神性と使命についての正しい理解と,自分の思いを主の御心に喜んで従わせる意志と,全ての男女は裁きの日に自分自身の罪に対する責任を負うことになるという知識から生じます教義と聖約101:78信仰箇条1:2参照)

 

聖文が明らかにしているように,主を畏れることは「知識のはじめ」であり箴言1:7,「知恵の教訓」箴言15:33,「安心を得」させるもの箴言14:26,「命の泉」です箴言14:27)。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)