「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -10ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

へブル11:8-9,11

信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。

信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。

信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。

 

「忠実さから生まれる従順」2014年4月、L・トム・ペリー、十二使徒定員会

使徒パウロは,「さて,信仰とは,望んでいる事がらを確信し,まだ見ていない事実を確認することである。」ヘブル11:1と教え,アベル,エノク,ノア,そしてアブラハムの例を用いて,信仰について教えています。パウロは忠実な者の父アブラハムの例を強調してこう述べています。

 

「信仰によって,アブラハムは,受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時,それに従い,行く先を知らないで出て行った。

信仰によって,他国にいるようにして約束の地に宿り,……

信仰によって,サラもまた,年老いていたが,種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると,信じていたからである。」ヘブル11:8-9,11

 

わたしたちは,アブラハムとサラの息子のイサクを通じて,一つの約束がアブラハムとサラに与えられたことを知っています。それは,「天の星のように,海べの数えがたい砂のように」繁栄するという約束でした12 節参照;創世 17:15‐16 も参照)。そして,アブラハムの信仰は,わたしたちが想像もできないような方法で試されたのです。

 

わたしはこれまで多くの機会にアブラハムとイサクの物語について熟考してきましたが,アブラハムの忠実さと従順さについて完全に理解できてはいません。恐らく,アブラハムがある日の朝早く,信仰深く荷造りをして家を出る光景を想像はできるかもしれません。しかし,どうやって,息子のイサクを従えて,3日の行程を,モリヤの山のふもとまで行くことができたのでしょうか。どうやって燔祭のための薪を山の上まで運んだのでしょうか。どうやって祭壇を築いたのでしょうか。どうやってイサクを縛り,祭壇に横たえたのでしょうか。イサクに自分がささげものなのだということをどう説明したのでしょうか。そして,息子を殺すために刃物を上げる力をどうやって得たのでしょうか。アブラハムはその信仰によって,あの奇跡の瞬間まで神の導きに厳密に従う力が与えられていました。そしてその時,御使いが天からアブラハムを呼び,つらいい試験に合格したことをアブラハムに告げたのです。そして,主の天使はアブラハムの聖約に伴う約束をもう一度繰り返しました。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

創世15:1-6

これらの事の後、主の言葉が幻のうちにアブラムに臨んだ、「アブラムよ恐れてはならない、わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは、はなはだ大きいであろう」。

アブラムは言った、「主なる神よ、わたしには子がなく、わたしの家を継ぐ者はダマスコのエリエゼルであるのに、あなたはわたしに何をくださろうとするのですか」。

アブラムはまた言った、「あなたはわたしに子を賜わらないので、わたしの家に生れたしもべが、あとつぎとなるでしょう」。

この時、主の言葉が彼に臨んだ、「この者はあなたのあとつぎとなるべきではありません。あなたの身から出る者があとつぎとなるべきです」。

そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。

アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。

 

「自分の思いを主の御心に添わせる」2024年10月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会

愛する友人の皆さん,利己的なことを追い求めるよりも,神を人生の中で最も強い影響力とするとき,わたしたちは弟子として成長し,思いと心を救い主と一致させる能力が高まります。しかし,生活の中で神の方法を優先しなければ,御霊は離れてしまいます。そして,主の導きがなければ,何をするにしても,しないにしても,「これが自分のやり方だから」と正当化し,自分のしたいことをしてしまうかもしれません。

 

あるとき,救い主が御自分の教義を教えておられると,一部の人々,特に独善的なパリサイ人が主の言葉を拒み,自分たちはアブラハムの子孫であると,つまり,血統により,神から特権が与えられていると主張したのです。パリサイ人は,そのような考え方で自分の知識に頼り,救い主の教えを信じませんでした。パリサイ人のイエスに対する反応を見ると,おごり高ぶった彼らの心の中に救い主の言葉や神の方法を受け入れる余地がなかったことは,明らかです。それに対しイエスは,もし彼らがほんとうにアブラハムの聖約の子であるならば,今まさに「アブラハムの神」が目の前に立って真理を教えておられることを理解し,アブラハムの業をするであろうと,賢明にまた雄々しく宣言しました。箴言3:5ヨハネ8:33-42参照。アブラハムのわざも参照:アブラハムはほかの人々を福音に改宗させ(創世12:5),争いを避け(創世13:7-9),神に従い(創世12:1-915:1-622:1-19),天からの使者を迎え(創世18:1-8),途方もない信仰を働かせました(創世22:1-19))

 

兄弟姉妹の皆さん,御覧のとおり,「いつも主の御心にかなう」行いではなく,「自分のしたいこと」を正当化することは目新しいことではありません。これは何世紀にもわたり蔓延してきた考え方であり,しばしば自分を賢いと思う者を盲目にし,箴言3:5-7参照)神の多くの子供たちを混乱させ,疲弊させています。この考え方は実は,昔からサタンが使ってきた策略であって,間違った道であり,神の子供たちを真実かつ忠実な聖約の道から巧みに引き離します。2ニーファイ28:21-23,26参照)遺伝的,地理的,身体的,精神的な問題といった個人的な状況も,確かに人生に影響を与えますが,ほんとうに大切なことについては,主がわたしたちの人生に用意してくださった規範に従うかどうかを自由に選択(『聖句ガイド』「選択の自由」の項,「福音ライブラリー」参照)できる余地があります。まことに主は,「光と命の道を示し」(「高きに満ちたる」『賛美歌』112番)てくださったのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アブラハム3:25

そして、わたしたちはこれによって彼らを試し、何であろうと、主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。

 

「トライ,トライ,トライ」2018年10月、ヘンリー・B・アイリング、大管長会

現世は,各人が試され,成長する場とするために,愛にあふれる神によって用意されました。御存じのように,神は世界を創造する際に,御自分の子供たちについてこう言われました。「そして,わたしたちはこれによって彼らを試し,何であろうと,主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。」アブラハム3:25

 

世の初めから,試しは容易ではありませんでした。わたしたちは死すべき肉体を持つがゆえの試練を経験します。わたしたちは皆,真理にも個人の幸福にも敵対するサタンの戦いがますます激しくなる世界に生きています。世界も皆さんの生活も,混迷を深めていくように見えるかもしれません。

 

安心してください。愛にあふれる神は,皆さんがこれらの試練に遭うのをお認めになりますが,乗り越えられる確かな方法を用意してもくださいました。天の御父はこの世を非常に愛されたので,わたしたちの助け手として,愛する御子を送ってくださったのです。ヨハネ3:16-17参照)御子イエス・キリストは,わたしたちのために命をささげてくださいました。イエス・キリストは,ゲツセマネと十字架上で,わたしたちすべての罪の重荷を背負ってくださいました。人生で遭遇するあらゆる試練の中でわたしたちを慰め,力づけることができるように,あらゆる悲しみと苦しみ,罪の結果を経験されました。アルマ7:11-12参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)