ただ大きな力と伸べた腕とをもって、あなたがたをエジプトの地から導き上った主をのみ敬い、これを拝み、これに犠牲をささげなければならない。
「癒いやすことができるように,……悔い改めなさい」(英文)2009年11月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
聖文において主の御腕は、広げられ、伸べられ、伸ばし、抱かれると書き表されているほか、強い、聖なる、憐れみの御腕、腕に……保護する、愛の腕、「終日、……伸べている」といった言葉でも表現されています(モルモン6:17、アルマ19:36、列王下17:36、詩篇136:12、2ニーファイ1:15、教義と聖約123:6、3ニーファイ20:35、アルマ5:33、アルマ34:16、教義と聖約6:20、2ニーファイ28:32参照)。
わたしたちは一人一人、霊的な意味で主の御腕に抱かれるという感覚をある程度知っています。主の赦し、主の愛、主の慰めを感じたことがあるのです。主はこう言われました。「わたしがあなたがたを慰める者である。」(2ニーファイ8:12)
わたしたちがみもとに来て御腕に抱かれるようにという主の望みは、悔い改めへの招きという形で表されることが多くあります。「見よ、主はすべての人を招き、憐れみの御腕を伸べて、『悔い改めよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れよう』と言われる。」(アルマ5:33)
