ホセアの第九年になって、アッスリヤの王はついにサマリヤを取り、イスラエルの人々をアッスリヤに捕えていって、ハラと、ゴザンの川ハボルのほとりと、メデアの町々においた。
「エレミヤの哀歌―束縛に注意する」2013年10月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会
十部族を含むユダヤ人の捕囚とイスラエルの部族の散乱は,福音の回復において考慮すべき非常に重要な教義的要素です。イスラエルの失われた十部族は,イスラエルの北の王国の一部を形成し,紀元前721年に 囚われの身となってアッスリヤに連れ去られました。彼らは北の国々に行ったのです。 (列王紀下17:6 ; 教義と聖約110:11参照)信仰箇条の第10条にはこのように書かれています。「わたしたちは,イスラエルの文字どおりの集合と十部族の回復とを信じる。」(信仰箇条1:10;2ニーファイ10:22も参照)わたしたちはさらに,主がアブラハムと交わされた聖約の一部として,アブラハムの血統を受け継ぐ者だけが祝福されるのではなく,地上のすべての民が祝福されることを信じています。ラッセル・M・ネルソン長老が話したように,集合は「物理的な場所の問題ではありません。個人の献身の問題なのです。人々は郷里を離れることなく『神を知るようになります』(3ニーファイ20:13)。」(ラッセル・M・ネルソン”The Book of Mormon and the Gathering of Israel”)
わたしたちの教義は以下のとおりはっきりとしています。「主はイスラエルの十二部族を,その不義と背反のゆえに散らし,苦しめられた。しかし,主は選ばれた民をこのように国々の中に散乱させ,それによってその国々に祝福をもたらす機会とされた。」(『聖句ガイド』「イスラエル」の項。)
この悲劇的な時代から価値ある教訓を学ぶことができます。束縛につながる罪や反抗心を避けるために,自分の能力の範囲でできる限りのことを行うべきです。(教義と聖約84:49‐50)わたしたちは,義にかなった生活をすることが,主の選民を呼び集め,文字どおりイスラエルの集合のために主とともに働く前提条件であることも理解しています。
