日がたって後、アンモンの人々はイスラエルと戦うことになり、
「もし汝よくこれを耐え忍ばば」(英文)1990年4月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
私たちが忍耐心に欠けるのは、神の時刻表よりも自分の時刻表に従っているからです。次のような聖句に見られる「時到りて」という言葉は、「ついには」という意味ですが、これは霊的な成長過程すべてに当てはまる表現です。
「主エノクにこの世に住める者をことごとく見せたまえり。而して、エノクは見たり、みよ、誠にシオンは時到りて天にとり挙げられたるを。」(モーセ7:21;教義と聖約38:13;創世4:3;38:12;出エジプト2:23;士師11:4;歴代下21:19参照)
言うまでもなく、時が経過すればそれだけで自動的に進歩できるわけではありません。しかし、私たちが天父の霊の子として本心に立ち返るためには、「時到る」必要がよくあります(ルカ15:17参照)。血を分けた兄弟でありながら長年にわたって争っていたヤコブとエサウが、砂漠で感動的な再会をしたことは、昔からよく知られている話です。寛容さが敵意に取って代わるのです。けれども、己を顧み、深く考えられるようになるには時間がかかります。霊的に成長するには、時間をかけて真理を体験することが必要であり、そのような体験こそ多くの病を癒す特効薬ともなるのです。
