主の宮の敷居を越えて入って来るすべての者が、あなたの力を感じ、またあなたがこれを聖められたことと、これがあなたの宮、あなたの聖さのある所であることを認める促しを感じますように。
「聖なる場所に立つ」2005年4月、ジェームズ・E・ファウスト、大管長会
昨年,孫夫婦が両親とともに,新しく建設されたニューヨーク州マンハッタン神殿に行きました。人であふれる大都会の喧騒は,耳に痛いほどでした。タクシーが神殿の前に止まると,孫の妻のキャサリンは涙ぐみました。神殿の外にいるだけで,その神聖さを感じたのです。二人は神殿に入り,騒々しい世界を離れて,主の宮で礼拝をささげました。それは忘れることのできない神聖な経験となりました。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこう教えています。「時にはこの世の喧騒を離れて,神の神聖な宮の中に足を踏み入れ,神聖さと平安の中に主の御霊を感じる必要があります。」(「伝道と神殿,そして管理の職」『聖徒の道』1996年1月号,60)カートランド神殿を奉献した際のジョセフ・スミスの祈りは,まさにこたえられています。「主の宮の敷居を越えて入って来るすべての者が,あなたの力を感じ,……これがあなたの宮,あなたの聖さのある所であることを認める促しを感じますように。」(教義と聖約109:13)
祝福師ジョセフ・スミス・シニアの神殿に対する思いが,その葬儀の席で語られました。「主の宮の中にいること,そこで祈り求めること,それがジョセフ・スミス・シニアの毎日の喜びでした。彼はそこでたくさんの祝福を享受し,天の御父との甘美な交わりに時を忘れました。彼は,太陽が東の空を染めるずっと前に,ただ独りで,神殿の神聖な廊下を歩きました。草木もまだ眠りに就いている時間に宮の壁の内側で心の願いをささげたのです。そのような聖なる環境で,天からの示現が心に開かれ,彼の魂は永遠の喜びを味わったのです。」(History of the Church,第4巻,193-194)
札幌神殿
