それゆえ、わたしは今あなたがたに、まことにわたしの友であるあなたがたに、別の慰め主、すなわち約束の聖なる御霊を遣わして、それがあなたがたの心の中にとどまるようにする。この他の慰め主は、ヨハネの証の中に記されているように、わたしが弟子たちに約束したものである。
「聖霊」2016年4月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会
個人の啓示は不可欠なものですが,それは聖霊の働きの一部にすぎません。聖文で証明されているように,聖霊はまた,救い主と父なる神について証してくださいます。(ヨハネ15:26;ローマ8:16参照)聖霊は「王国にかかわる平和をもたらす事柄」(教義と聖約39:6)を教え,わたしたちを「望みにあふれさせて下さ〔います〕。」(ローマ15:13)聖霊は「善を行うように〔わたしたちを〕導〔き〕……〔また〕義にかなって裁くように導〔いてくださいます〕……。」(教義と聖約11:12)聖霊は「すべての人〔に〕……〔霊的な〕賜物〔を与え〕……すべての人がそれによって益を得られるように〔してくださいます〕。」(教義と聖約46:11–12。モロナイ10:8–17;教義と聖約13–16章も参照)聖霊は「〔わたしたちに〕理解……を与え」,(アルマ18:35)「〔わたしたち〕にすべてのことを……思い起させ〔てくださいます〕。」(ヨハネ14:26)聖霊を通して,わたしたちは「聖められ」,(3ニーファイ27:20)「罪の赦し」(2ニーファイ31:17)を受けます。この御方は「慰め主」であり,「〔救い主の〕弟子たちに約束〔された御方です〕。」(教義と聖約88:3)
思い起こしていただきたいのは,聖霊は,わたしたちをコントロールするために与えられるわけではないということです。よく考えずに,生活のあらゆるささいな決断について聖霊の導きを求める人がいます。このようなことをすると,聖霊の神聖な役割が取るに足りないものになってしまいます。聖霊は選択の自由の原則を尊重し,わたしたちの思いと心に,多くの重要な事柄について優しく語りかけてくださいます。(教義と聖約8:2–3参照)
