あなたはシオンの地に上って来て、わたしの言葉を宣言した後、速やかに帰って、悪人の集まりの中で、急ぐことなく、怒ったり争ったりせずに、わたしの言葉を宣言しなければならない。
「『争い』という害毒」(英文)1989年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会会員
教会の神聖な教義も、論争好きな霊を持つ人々にとって、またとない標的です。私の友人に、教会のクラスで毎回のように争いの種をまく人がいました。彼の攻撃は決まって、次のような言葉で始まります。「悪魔の側から考えてみましょうか。」最近、彼はこの世を去りました。いつか彼も主の裁きの座に着くでしょう。そのとき、彼はこの同じ言葉を繰り返すのでしょうか。
こうした争いを好む人々は過去にもいました。テモテへの手紙の中で、使徒パウロは「神のみ名と教とが、そしりを受けないように」と警告を記し(1テモテ6:1)、さらにこう述べています。
「もし違ったことを教えて、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉、ならびに敬虔にかなう教えに同意しないような者があれば…ただ論議と言葉の争いとに病みついている者である…信心を利得と心得る者どもの間に、はてしのないいがみ合いが起るのである」(1テモテ6:3–5、イザヤ29:21、2ニーファイ27:32、教義と聖約19:30;38:41;60:14参照)。
議論を引き起こすような方法で教義を分析し、人の注意を集めようとするのは、主の喜ばれることではありません。主はこう言われました。
「しかしてわが教義の真なる要点と、然り、ただわれにある唯一の教義とを明らかにせん。而してわれ、わが福音を打ち建てんため、また人々のうち甚だ多くの争いならしめんためにこの事を為す。然り、誠にサタンは人々の心を煽り立てて、わが教義の眼目に就きて人々の心に争いあらしむ。而して、人々はまた誠に聖典の意義を曲げて真理を悟らざるが故に、争いを為して実に過ちにおち入るなり」(教義と聖約10:62–63)。
争いは不一致をもたらします。しかし、モルモン書にはそれに勝る方法が示されています。
「さてアルマは神から権能を授かったので…互いに争うことなく、心をひとつにして望み、同一の信仰を保ち、同一のバプテスマを受け、相愛し相一致してその心を結ばなくてはならないと祭司たちに命じた」(モーサヤ18:18、21;同23:15参照)。
