ジョセフ・スミスー歴史:1:11 祈り | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ジョセフ・スミスー歴史:1:11

これら宗教家たちの論争によって引き起こされた、極度に難しい事情の下で苦しんでいたある日のこと、わたしは、ヤコブの手紙第一章五節を読んでいた。「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」

 

「祈り」2001年10月、ヘンリー・B・アイリング、十二使徒定員会

わたしたちの心が神に向けられるのは、神を愛する心と、神の慈しみを信頼する心に満たされたときだけです。ジョセフ・スミスは、まだ幼い少年だったときでさえ、どのようにしたら神への愛に満ちた心で祈ることができるようになるか、試練や祝福に満ちた生涯を通じて絶えず祈ることができるようになるか、ということについて、一つの模範を示しました。

 

ジョセフは、愛に満ちた神は必ず祈りにこたえてくださり、混乱から救ってくださるという信仰をもって、祈るために森に向かいました。ジョセフは、神の御言葉を読むことにより、また、それが真実であるという証を得ることにより、その確信を持ちました。ヤコブの手紙の次の言葉を読んだと記録しています。「その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」ヤコブの手紙1:5ジョセフ・スミス—歴史1:11も参照)祈りを通じて神に願い求めようというジョセフの信仰は、聖句について深く考え、神が愛に満ちた御方であられるという確信を得た後にもたらされました。ジョセフは、わたしたちに今求められていると同様の、愛に満ちた神を信じる信仰をもって祈りをささげたのでした。

 

ジョセフは、ただ単に神の言われることを聞くためだけでなく、それに従うつもりで、祈りました。ただ真理を知るためにだけ願い求めたわけではありません。神が自分にお話しになる事柄については、どんなことであれ、それに従って行動する決意ができていたのです。ジョセフの書いた記録を読むと、固い覚悟のうえで祈ったことが明らかです。どのような答えを受けようとも、それに従って行動しようという決意でした。