したがって、善いものはすべて神から出て、悪いものは悪魔から出る。悪魔は神に対する敵であって、絶えず神と戦い、また人を誘い、そそのかして罪を犯させ、いつも悪いことを行わせようとする。
「平和の君に従う者」2023年4月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
ほかの人の特徴や弱さ,意見について,否定的,また軽蔑的なことさえ述べる人をよく見かけます。大体は特徴や意見が,自分の行動や考え方と異なる場合や相反する場合です。これらの人々がそのようなことをほかの人に伝え,伝え聞いた人が状況を取り巻くすべての事情をほんとうに知ることなく聞いたことを繰り返す,というのはごく普通に見られることです。残念ながら,ソーシャルメディアは,相対的な真理と透明性の名の下に,このような行動を助長します。デジタル上の会話は,際限なく,個人攻撃や激しい論争に人々をしばしば誘導し,失望を生み,心を傷つけ,激しい敵対心を広げます。
ニーファイは,末の日に敵は猛威を振るい,善であるものに怒るよう人々をあおると預言しました。(2ニーファイ28:20参照)聖文ではこう教えられています。「善を行い,神を愛し,神に仕えるように誘い,促すものはすべて,神の霊感を受けているのである。」(モロナイ7:13)その反面,「悪いものは悪魔から出る。悪魔は神に対する敵であって,絶えず神と戦い,また人を誘い,そそのかして罪を犯させ,いつも悪いことを行わせようとする。」(モロナイ7:12)
この預言的な教えを考えると,サタンの戦術の一つが,神の子供たちの心に敵意と憎しみを引き起こすことであるのは驚くに当たりません。サタンは,人々が互いに批判し,あざけり,中傷し合うのを見て喜びます。この行動は,特にだれかが不当に裁かれた場合に,その人の人格,評判,自尊心を打ち砕く可能性があります。このような態度を許した生活をすると,敵がわたしたちの間に不和の種をまく余地を心の中に作ってしまい,敵の貪欲なわなに陥る危険があります。
わたしたちが自分の思いや言葉,行いに注意していなければ,結果的に敵の狡猾なわなに捕らわれ,周囲の人々や愛する人々との関係を破壊してしまうかもしれません。
兄弟姉妹の皆さん,主の選ばれた,平安を広める人々として,悪者のわながわたしたちの心の中に居場所を得るのを許すことはできません。感情や関係性,または命までをもむしばむ重荷を負うことはできません。福音は大きな喜びを表しています。
