したがって、善いものはすべて神から出て、悪いものは悪魔から出る。悪魔は神に対する敵であって、絶えず神と戦い、また人を誘い、そそのかして罪を犯させ、いつも悪いことを行わせようとする。
「わたしが,それである」2024年10月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
イエスは「悲しみの人で」 (イザヤ53:3)あったと聖文には書かれています。悲哀や疲れ,失望,耐え難い孤独を経験されました。今の時代も,いつの時代にも,イエスの愛は絶えることがありません。御父の愛もそうです。そのような成熟した,模範となり,力を与え,人に分け与える愛があるからこそ,わたしたちも,絶えることのない愛を持つことができます。
ですから,一生懸命やればやるほど状況が悪くなるような場合,自分の限界や欠点に挑戦しようと頑張っているのに信仰をぐらつかせようとする人や物が出てきた場合,熱心に働いてもなお恐怖に襲われるときがある場合には,いつの時代でも真心を尽くす素晴らしい人たちもそうだったことを思い出してください。また,この世界には,あなたが行おうとするあらゆる善を妨げようとする力がある(モロナイ7:12参照)ことも,忘れないでください。
ですから,富めるときも貧しいときも,人から称賛されるときも世間から批判されるときも,回復の神聖な出来事が起こるときも,必然的に現れる人間の弱点を見るときも,わたしたちは真のキリストの教会の教えに忠実であり続けます。なぜでしょうか。贖い主がされたように,わたしたちも学校に在籍しているようなものです。それは,たった1回の簡単な小テストで修了するものではなく,最終試験まで続きます。ここでうれしいのは,学校が始まる前に校長がすべての答えを公開してくれていることです。しかも,家庭教師がたくさんいて,定期的に答えを思い出せるよう助けてくれます。しかし,もちろん,授業をさぼってばかりいると,いい成績は取れません。
