「イエス・キリストの御名によって、わたしはあなたを祭司に聖任し(もし教師であるならば、あなたを教師に聖任し)、悔い改めを宣べ伝える者、また最後までイエス・キリストの御名を信じ続ければ、イエス・キリストを通じて罪の赦しが得られることを宣べ伝える者とします。アーメン。」
「行いを改善し,より良くなれます」2019年4月、ラッセル・M・ネルソン大管長
最近わたしは,「この時代の人々には,悔い改めのほかに何も語ってはならない」という,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた主の教えに引き付けられています。(教義と聖約6:9 ;11:9)この宣言は聖典の至る所で繰り返されているため,(マルコ1:4;モーサヤ18:20;アルマ37:33;3ニーファイ7:23;モロナイ3:3;教義と聖約19:21;44:3;55:2参照)当然,「すべての人が悔い改める必要があるのか」という疑問が浮かびます。その答えは 「はい」です。
悔い改めを罰と捉え,非常に深刻な状況でないかぎり避けるべきだと考える人があまりに多すぎます。しかし,この罰せられるという思いは,サタンから来るものです。サタンは,わたしたちがイエス・キリストに頼るのを妨げようとします。(教義と聖約6:36参照)しかし主は両腕を広げて立ち,(申命26:8;2ニーファイ1:15;モルモン6:17;教義と聖約6:20参照)喜んでわたしたちを癒し,赦し,汚れを取り,強め,清め,聖くしたいと望んでおられます。
ギリシャ語の新約聖書で悔い改めに当たる言葉は,「metanoeo(メタノエオ)」です。接頭語の「meta(メタ)」は「変わる」という意味です。接尾語の「noeo(ノエオ」は,「思い」「知識」「霊」そして「息」を意味するギリシャ語に関連しています。(ラッセル・M・ネルソン「悔い改めと改心」 2007年4月)
ですからイエスは皆さんやわたしに「悔い改めよ」とお求めになるとき,思いと知識と霊と,さらに息の仕方までも変えなさいと勧めておられるのです。愛し方,考え方,奉仕の仕方,時間の過ごし方,妻との接し方,子供の教え方,そして自分の体の管理の仕方さえも変えるように求めておられます。
