さて、神を信じる者はだれであろうと、もっと良い世界を、まことに神の右に一つの場所を、確かに望むことができる。この望みは信仰から生じ、人々にとってその心をしっかりとした不動のものにする錨となる。そしてそのような人々はいつも多くの善い行いをし、神をあがめるようになる。
「わたしたちと神との関係」2022年4月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会
ブリガム・ヤング大管長は,自分の信仰は特定の結果や祝福の上に築かれたものではなく,イエス・キリストへの証とイエス・キリストとの関係性の上に築かれたものであると説明しました。大管長はこのように述べています。「わたしの信仰は,主が海の島々でされる働きや,ここに御自身の人々を連れて来てくださるかどうか……または,特定の民が主の厚い恵みを受けるかどうかやわたしたちが祝福されるかどうかということには築かれていません。わたしの信仰は主イエス・キリストと主からわたしが受けた知識の上に築かれています。」(Brigham Young, “Instructions,” Deseret News, Nov. 21, 1855, 290)
大切なのは,わたしたちの悔い改めであり,従順であり,奉仕であり,犠牲なのです。わたしたちは,エテルが述べた「いつも多くの善い行いを」(エテル12:4)する人々の仲間でありたいと思います。しかし,善い行いは,日の栄えの帳簿に記される勘定記録のようなものではありません。善い行いが重要である理由は,それによってわたしたちが神の業に携わり,神との協力関係の中で生まれながらの人から聖徒に生まれ変わる手段だからです。(モーサヤ3:19参照。ダリン・H・オークス「主の望まれる者となるというチャレンジ」2000年10月)天の御父がわたしたちに用意しておられるのが,御父御自身と御子です。すなわち,わたしたちの贖い主であられるイエス・キリストの恵みと仲立ちによってもたらされる,緊密でいつまでも続く,御二方との関係です。
