さて、神を信じる者はだれであろうと、もっと良い世界を、まことに神の右に一つの場所を、確かに望むことができる。この望みは信仰から生じ、人々にとってその心をしっかりとした不動のものにする錨となる。そしてそのような人々はいつも多くの善い行いをし、神をあがめるようになる。
それで、信仰によってモーセの律法が与えられた。しかし神は、御子を送ることによってもっとすばらしい方法を備えられた。そして、信仰によって、モーセの律法が成就したのである。
「最も優れた道」(英文)1992年4月、ハワード・W・ハンター、十二使徒定員会
古い自動車を解体し、まだ使える部品を売る仕事をしていた父親が病気になったために、わずか15歳のバーンの肩に店の仕事をする責任がかかってきました。客の中には彼が若いことにつけこんで、だましたりする人もいました。そして夜のうちに多くの部品がなくなるということが起きたのです。バーンは怒り、「必ずだれかをつかまえ、見せしめにしてやる」と心に誓いました。「復讐するは我にあり」と考えたのです。
父親が快復し始めて間もないある日の夜、バーンは店を閉めてから工場の見回りをしました。暗闇の中で、工場の隅の方にだれかが大きな部品を持って裏のフェンスに向かう姿を見つけました。彼は陸上競技の選手のような勢いで駆け出し、ひとりの若者を捕まえました。彼はまず、げんこつに物を言わせてうさを晴らし、次に事務所まで引きずっていき、警察に電話をしようと考えました。彼の心は怒りと復讐の念でいっぱいでした。そして今や、賊は自分の手の中にあり、彼は復讐を実行しようといきり立っていました。
そのとき、突然父親が現れ、弱々しく力のない手を息子の肩に置き、こう言いました。「ちょっと頭に血が上っているな。ここは父さんに任せてくれないか。」それから父親は盗みを働こうとしたその少年に近づいて、彼の肩に手をかけ、少しの間じっと目を見つめてから言いました。「どうしてこんなことをするのか、わけを話してくれないか。なぜあのトランスミッションを盗もうとしたんだい。」クロウリー氏は少年の肩に手を回したまま、事務所の方へ歩き始め、その途中に、少年の自動車にどんな問題があったのか尋ねました。そして事務所に着いたところで、「多分クラッチがだめになってるんだ。それが原因だよ」と言いました。
その間、バーンはいきり立っていました。「どうしてあいつのクラッチの心配をしなくちゃいけないんだ。警察を呼べば、それで済むことじゃないか。」しかし父親は話し続けました。「バーン、彼にクラッチを渡してくれ。それからベアリングもだ。プレッシャープレートも。それでクラッチの修理ができるはずだ。」バーンの父親は盗みを働こうとしたその若者に、それらの部品を全部渡してこう言いました。「これを持って行きなさい。トランスミッションもある。盗む必要はないんだ。いいね。困ったことがあれば、言いなさい。どんな問題でも解決法はある。みんな喜んで助けてくれるさ。」
バーン・クロウリー兄弟は、その日に愛について永遠の教訓を得たと話してくれました。盗みに入ったその若者は、それからたびたび店にやって来ました。自分から進んで、毎月毎月、トランスミッションも含めてビック・クロウリーから受け取った部品の代金を全部払いました。その間、彼はバーンに、なぜバーンの父親があのように振る舞えたのかを尋ねました。バーンは彼に末日聖徒の信条を少し話し、父が主と人々を心から愛していることを話しました。やがてその少年はバプテスマを受けました。
バーンは後にこう語っています。「今となっては、あの時の自分の気持ちを説明するのは、なかなかむずかしいですね。私も若すぎましたからね。私は泥棒を捕まえ、一番ひどい罰を加えてやろうとしていた。ところが父は私に別の道を教えてくれたということです。」
それは単なる別の道でしょうか。それとも良い道、より優れた道でしょうか。あるいは最も優れた道でしょうか。世の人々は、このようなすばらしい教訓から、大いなる恵みを得ることができます。モロナイは、それをこう宣言しています。
「すべて神を信ずる者はこの世よりも勝っている世…少しも疑わずに望むことができ〔る。〕…神はその御子を与えて以てモーセの律法に勝る道を備えたもうた一。」(エテル12:4,11)
デビッド・O・マッケイ大管長はかつてこう話したことがあります。「キリストによる平安は、人生のうわすべりな事柄を追い求めていて得られるものではない。それは一人一人の心の内奥から生じてくるものである。イエスは弟子たちに次のように言われました。『わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは,世が与えるようなものとは異なる。』」(「福音の理想」p.39)
