そして、彼らは約束の地の海岸に上陸した。彼らは約束の地の海岸に足を踏み下ろすと、地の面にひれ伏して主の前にへりくだり、主が深い憐れみを豊かにかけてくださったことについて、主の前に喜びの涙を流した。
「約束された祝福にふさわしくある」2015年10月、リンダ・S・リーブズ、中央扶助協会会長会
無理もないことですが,多くの人が,特に試練が次から次へと押し寄せてくるときほど,御父の約束された祝福は「あまりにも遠い」ところにあると言います。しかし,アミュレクは「現世は……神にお会いする用意をする時期である」(アルマ34:32) と教えています。全ての祝福を受ける時期ではないのです。パッカー会長は,このように説明しています。「第2幕では,『それからみんなずっと幸せに暮らしました』というせりふはありません。そのせりふは,謎が解け,全てが正される第3幕のものなのです。」(ボイド・K・パッカー,“The Play and the Plan” ヤングアダルト対象の教会教育システムファイヤサイド,1995年5月7日) とはいえ,御父が将来大いなる祝福を約束しておられることに,日々,焦点を定める必要があります。それはちょうど,「主が深い憐れみを豊かに」(エテル6:12) 下さっているのを毎日気づく必要があるのと同じです。
姉妹の皆さん,わたしたちがなぜこれほど多くの試練に遭うのか,わたしには分かりません。しかし,これは個人的な考えですが,報いがとても偉大で永遠で終わりがなく,報いを受ける日はとてもうれしくて理解を超えるほどなので,憐れみ深く愛にあふれた御父に「本当に試練はあれで 全部だったのですか」と尋ねたくなるのではないでしょうか。天の御父と救い主がわたしたちをどれだけ深く愛しておられるかを毎日思い起こすことができるなら,みもとへ戻り,永遠に御二方の愛に包まれるために求められることは喜んで何でもできるでしょう。愛する姉妹の皆さん,これらの試練が,まさに,最後に,御父や救い主とともに神の王国で永遠の命と昇栄を得る資格を与えてくれるものだとしたら,ここで苦しむことは一体どれほどのものでしょうか。
