シュールの時代には、もはや戦争はなかった。そして彼は、主が自分の先祖のために数々の偉大なことを行って、大いなる深みを渡らせて先祖を約束の地に導いてくださったことを思い起こし、生涯義をもって裁きを行った。
「神の慈しみと偉大さを深く考える」2020年4月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会
「父は,わたしが十字架に上げられるようにと,わたしを遣わされた。十字架に上げられた後で,わたしはすべての人をわたしのもとに引き寄せた。……
このために,わたしは上げられたのである。それで,父の力によってすべての人をわたしのもとに引き寄せ〔る〕。」(3ニーファイ27:14-15。ヨハネ12:32;2ニーファイ26:24も参照)
皆さんが救い主のもとに引き寄せられるためには,何が必要ですか。イエス・キリストが御父の御心に従い,死に打ち勝ち,皆さんの罪と過ちを負い,皆さんのために取りなしをする力を御父から受け,究極的に皆さんを贖ってくださったことについて,深く考えてください。(モーサヤ15:7-9;黙示21:4参照)皆さんがみもとに引き寄せられるために,これでは不十分ですか。わたしにとっては十分です。イエス・キリストは「両腕を広げて立ち,喜んで〔皆さんとわたしを〕癒し,赦し,汚れを取り,強め,清め,聖くし〔て〕」くださいます。(ラッセル・M・ネルソン「行いを改善し,より良くなれます」2019年4月)
これらの真理はわたしたちに新しい心を与え,天の御父とイエス・キリストに従おうという気持ちを起こさせてくれるはずです。しかし,新しい心ですら「さまよいやすく,……愛してくださる神を離れがち」になることがあります。(“Come, Thou Fount of Every Blessing,”Hymns(1948), no. 70)この性向に打ち勝つために,わたしたちは受けてきた賜物とそれに対する責任について日々思い巡らす必要があります。ベニヤミン王は言いました。「神の偉大さと……あなたがたに対する神の慈しみと寛容,これらを覚えて,いつも記憶にとどめておくようにしてほしい。」(モーサヤ 4:11。アルマ36:2,28-29;エテル7:27; 10:2;モロナイ9:25も参照)そうするときに,天からの驚くべき祝福を受ける資格を得るのです。
