見よ、父はこの記録を作り、この記録の目的を書いた。そしてまことに、わたしも版に余地があればそれを書きたいが、その余地はない。また、あらがねもない。わたしは孤独である。わたしの父は戦いで殺され、親族も全員殺されてしまった。わたしには友もなく、行く所もない。また、主がわたしをいつまで生かしてくださるか、わたしには分からない。
「希望の勝利」2024年10月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
預言者モロナイは,艱難の中でキリストに希望を持つことを身をもって知りました。自分の苦境をこう述べています。
「わたしは孤独である。……行く所もない。」(モルモン8:5)
「わたしは……殺されないために,わたしのことを彼らに知られないようにしている。」(モロナイ1:1)
驚くべきことに,この暗く孤独な時に,モロナイは希望についての父親の言葉を記録しています。
「もし人に信仰があれば,必ず希望もあるに違いない。信仰のない希望はあり得ないからである。」(モロナイ7:42)
「あなたがたは何を望めばよいのであろうか。……あなたがたは,キリストの贖罪とキリストの復活の力によって永遠の命によみがえることを望まなければならない。」(モロナイ7:41)
兄弟姉妹の皆さん,希望は生きた賜物であり,イエス・キリストを信じる信仰が増すときに大きくなります。「信仰とは,望んでいる事がら〔の実体です〕。」※ 祈り,神殿の聖約,戒めを守ること,聖文と現代の預言者の言葉を絶えず味わうこと,聖餐を受けること,同胞の聖徒たちとともに毎週礼拝し仕え合うことによって,わたしたちはこの「実体」,つまり,信仰を裏付けるブロックを積み上げます。
※ヘブル11:1。ジョセフ・スミス訳聖書にはこうあります。「さて,信仰とは,望んでいる事がらを確信し,まだ見ていない事実を確認することである。」〔訳注—JSへブル日本語訳では口語訳と同じ〕わたしたちは,主と交わした聖約を守る人々に与えられる祝福の中に,信仰の確信を見ます。
