そして見よ、父はあなたがたの先祖に御言葉を宣べ伝え、彼らの心の中にも大きな変化が生じた。そして、彼らはへりくだり、まことの生ける神に信頼を寄せた。そして見よ、彼らは最後まで忠実であったので、救われたのである。
「信頼を取り戻す」2021年10月、ゲレット・W・ゴング、十二使徒定員会
聖文に記されている「時がたって」(モーセ7:21)という言葉を信頼してください。神の祝福と,時の経過と,絶えざる信仰と従順があれば,解決策と平安を見いだすことができます。
主は,次のように慰めてくださいました-
「夜はよもすがら泣きかなしんでも,朝と共に喜びが来る。」(詩篇30:5)
「重荷は,主により頼め」(「いともやさし」『賛美歌』70番、詩編55:22)
「天が癒せぬ悲しみは,この地にあらず。」(“Come, Ye Disconsolate,” Hymns, no. 115)
神と,その奇跡とを信頼しましょう(アルマ5:13参照)。自分自身も,人との関係も,変わることができます。主なるキリストの贖罪を通して,わたしたちは利己的な生まれながらの自己を捨て,柔和で,謙遜で,信仰と適切な信頼を十分に備えた神の子となることができます。(モーサヤ3:19参照)わたしたちが悔い改めるとき,罪を告白し,それを捨てるときに,主はもうそれを思い起こさないと言われました。(教義と聖約58:42-43参照)忘れてしまう,というのではありません。驚くべき方法で,主は,思い出さない,という選びをされるようです。わたしたちも,思い出す必要はありません。