モーサヤ18:8-10 神の目を通して | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ18:8-10

そして、アルマは言った。「見よ、ここにモルモンの泉がある。(この泉はこのように呼ばれていた。)あなたがたは神の羊の群れに入って、神の民と呼ばれたいと願っており、重荷が軽くなるように、互いに重荷を負い合うことを望み、

また、悲しむ者とともに悲しみ、慰めの要る者を慰めることを望み、また神に贖われ、第一の復活にあずかる人々とともに数えられて永遠の命を得られるように、いつでも、どのようなことについても、どのような所にいても、死に至るまでも神の証人になることを望んでいる。

まことに、わたしはあなたがたに言う。あなたがたが心からこれを望んでいるのであれば、主からますます豊かに御霊を注いでいただけるように、主に仕えて主の戒めを守るという聖約を主と交わした証拠として、主の御名によってバプテスマを受けるのに何の差し支えがあろうか。」

 

「神の目を通して」2015年10月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会

教会で人々に効果的に奉仕するには,親の目,すなわち天の御父の目を通して人々を見なければならないと,今実感しています。そうして初めて,人の真の価値を理解し始め,天の御父が御自身の全ての子らに対して抱いておられる愛を感じることができます。また,そうして初めて,救い主が御父の子らに対して抱いておられる思いやりに満ちた気遣いを感じ取ることができます。神の目を通して人々を見ない限り,悲しむ者とともに悲しみ,慰めのいる者を慰めるという聖約の義務を完全に果たすことはできません。モーサヤ18:8-10 参照) このように視点が広がると,人の落胆や恐れ,心の痛みを敏感に感じ取れるようになります。そして,チャッドの両親が何年も前にわたしを慰めてくれたように,天の御父はわたしたちを支え,慰めてくださいます。トーマス・S・モンソン大管長から頻繁に勧められているように,人々を救い出すには,見る目と聞く耳を持たなければなりません。(トーマス・S・モンソン「救助に向かう」『リアホナ』2001年7月号;「救助の責任」『リアホナ』2013年10月号,4-5などを参照)

 

天の御父の目で見るときに初めて,わたしたちは「キリストの純粋な愛」で満たされます。モロナイ7:47 わたしたちは,毎日この慈愛を求めて神に懇願しなければなりません。モルモンはこのように訓戒しています。「したがって,わたしの愛する同胞よ,あなたがたは,御父が御子イエス・キリストに真に従う者すべてに授けられたこの愛で満たされるように,また神の子となれるように,熱意を込めて御父に祈りなさい。」モロナイ7:48