そして、アルマは言った。「見よ、ここにモルモンの泉がある。(この泉はこのように呼ばれていた。)あなたがたは神の羊の群れに入って、神の民と呼ばれたいと願っており、重荷が軽くなるように、互いに重荷を負い合うことを望み、
「今日われ善きことせしか」(英文)2009年10月、トーマス・S・モンソン大管長
教会員は皆、奉仕を行い困っている人を助けたいと思っていることをわたしは知っています。わたしたちはバプテスマを受けたとき「重荷が軽くなるように、互いに重荷を負い合う」と聖約しました。(モーサヤ18:8)皆さんはこれまでに何度、人が困っているのを目の当たりにして心を痛めたことがあるでしょうか。助けの手を差し伸べようと思ったことが、幾度あったでしょうか。にもかかわらず、日々の生活に追われて「きっとだれかが助けてくれる」と思い、人任せにしてしまったことが、幾度あったでしょうか。
わたしたちは日常生活の忙しさに埋没しています。でも、少し立ち止まって自分が何をしているかをよく顧みてみると、それほど重要でもないことに没頭していることが分かるでしょう。つまり、大きな目で見れば、ほんとうは大して重要ではないことに大半の時間を費やし、もっと重要なことをないがしろにしていることが往々にしてあるのです。
何年も前に聞いた詩の一節がわたしの心に残り、人生の道しるべとなってきました。わたしの好きな詩の一つです。
人の必要に気づかずに、
まくらを涙でぬらした夜は
数知れない。
だが、ほんの少し人に尽くしすぎたからといって
悔やんだことは
一度もない。
(Anonymous, quoted in Richard L. Evans, “The Quality of Kindness,” Improvement Era, May 1960, 340.)
