そして見よ、今でさえあなたがたは神の御名を呼び、罪の赦しを請い願っている。神はあなたがたが請い願うのに応じないで、聞き流してこられただろうか。いや、神はあなたがたに御霊を注ぎ、あなたがたの心を喜びで満たし、あなたがたが語る言葉を見いだせないで口をつぐむほどにされた。それほどあなたがたの喜びが非常に大きかったのである。
「見よ,この人だ」2018年4月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会
抽象的な意味で,わたしたちもこの御方を見るように招かれています。世において,この御方に対する意見は様々です。古代と現代の預言者は,この御方が神の御子であることを証しています。わたしもこのことを証します。大切なのは,わたしたち一人一人が,自分自身で知ることです。皆さんは,イエス・キリストの生涯と教導の業について思い巡らすとき,何が見えますか。
真にこの御方を見る方法を見いだす人は,人生の最も大きな喜びに通じる道,最もつらい苦しみに対する慰めをも見いだすことでしょう。
悲しみに取り巻かれるとき,この御方を見てください。
迷い,忘れ去られたと感じるとき,この御方を見てください。
見捨てられ,傷つけられ,打ちひしがれ,絶望し,疑いの心を持つとき,この御方を見てください。
主は皆さんを慰めてくださいます。
主は皆さんを癒し,皆さんの旅路に意味を与えてくださいます。主は豊かに御霊を注ぎ,大きな喜びで皆さんの心を満たしてくださいます。(モーサヤ4:20 参照)
主は「弱った者には力を与え,勢いのない者には強さを増し加え」てくださるのです。(イザヤ40:29)
真にこの御方を見るとき,わたしたちは主に学び,主に沿った生活を送ろうとします。悔い改め,性質を改善し,日々一歩ずつ,主に近づこうと努力します。主を信頼します。主の戒めを守り,神聖な聖約に従って生活することによって,主に愛を示します。
