わたしの同胞よ、わたしはあなたがたに言う。あなたがたを造り、あなたがたを守り、あなたがたに喜びを得させ、互いに平和に暮らせるようにしてくださった神に、たとえあなたがたが全身全霊の力を尽くして一切の感謝と賛美をささげたとしても、
さらに言うが、あなたがたがまた、たとえ世の初めからあなたがたを造り、あなたがたが自分の意のままに生きて動き、行動できるようにあなたがたに息を与えて日々守り、いかなる瞬間にもあなたがたを支えてくださっている御方に、たとえ全身全霊を尽くして仕えたとしても、それでもなお、あなたがたはふつつかな僕である。
「この世の負債と天の負債」2004年4月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会
救い主に対する負債はどのようにして返済することができるでしょうか。救い主は,決して支払うことのできない負債からわたしたちを解放するために,御自分に関係のない負債を支払ってくださいました。救い主のおかげでわたしたちは永遠に生きるのです。主の無限の贖罪のおかげでわたしたちの罪はぬぐい去られ,神のすべての賜物のうち最も大いなる永遠の命にあずかることができます。(教義と聖約14:7参照)
そのような賜物に代価はあるのでしょうか。その賜物に対して代償を支払うことができるのでしょうか。モルモン書の預言者であるベニヤミン王はこう教えました。「たとえあなたがたが全身全霊の力を尽くして一切の感謝と賛美をささげたとしても,……たとえ全身全霊を尽くして仕えたとしても,それでもなお,あなたがたはふつつかな僕である。」(モーサヤ2:20-21)
わたしたちにはこの世の負債と天の負債があります。知恵を使ってそれら一つ一つに対応するとともに,救い主の次の言葉を常に心に留めていようではありませんか。聖文はこう告げています。「あなたがたは自分のために,虫が食い,さびがつき,また,盗人らが押し入って盗み出すような地上に,宝をたくわえてはならない。むしろ……天に,宝をたくわえなさい。」(マタイ6:19-20)天の御父の家で忠実な者たちを待ち受ける宝と比較すれば,この世の富はちりのようなものです。さびつき,消えてなくなるものを追求して生涯を過ごす人は何と愚かなことでしょうか。永遠の命を求めて生涯をささげる人は何と賢いことでしょうか。