さて、わたしヤコブは、もう老いが進んだ。この民の記録はニーファイのほかの版に書き継がれるので、わたしは自分の知っているかぎりの事柄を書き記してきたことを宣言し、この記録を終えることにする。わたしたちの時はもう過ぎ去った。一生はあたかも夢のように過ぎてしまった。わたしたちは孤独でまじめな民であり、流浪の民であって、エルサレムから追い出され、艱難のただ中に荒れ野で生まれ、わたしたちの同胞に憎まれてきた。そして、その憎しみが戦争と争いを引き起こし、わたしたちは生涯を嘆き悲しんで送ってきたのである。
「一歩ずつ」2001年10月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会
その瞬間からほぼ四半世紀後の殉教まで、ジョセフ・スミスは御父と御子によって示された道から離れませんでした。彼の生涯がどれほど苦痛に満ちたものであったかを考えてください。堪え忍ばなけれはならなかった苦しみと迫害に思いをはせてください。しかしショセブは一歩ずつ、決してあきらめずに歩き続けました。自分にできることをしさえすれば、天の御父が残りの部分を補ってくださることを決して疑いませんでした。
兄弟姉妹、地上におけるわたしたちの時問は非常に大切であるとともに、非常に短いのです。わたしは預言者ヤコブが述べた「一生はあたかも夢のように過ぎてしまった」(ヤコブ7:26)という言葉をどれほど理解しているのだろうかと考えます。
瞬く間にわたしたちの時間は終わります。できる間に、仕事を終わらせる時間がある間に、正しい方向に向かって一歩ずつ前進しようではありませんか。
それは難しいことではありません。今日、完全になる必要はありません。ほかのだれかよりも優れている必要はないのです。わたしたちがしなければならないのは最高の自分になることだけです。
たとえうんざりすることがあっても、時には道がはっきり見えないことがあっても、天の御父は義にかなって従う者たちを決してお見捨てにはならないことを知ってください。皆さんが慰めを受けないままにしてはおかれません。御父はあなたの傍らに立って、そうです、旅の一歩一歩を導いてくださいます。