2ニーファイ4:17 恵みの賜物 | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2ニーファイ4:17

それでも、主が深い慈しみを、大いなる驚くべき業の中でわたしに示してくださっているにもかかわらず、わたしの心は、「おお、わたしは何と惨めな人間なのだろう」と叫ぶ。まことに、わたしの心はわたしの肉のために苦悩し、わたしの霊はわたしの罪悪のために嘆く。

 

 

「恵みの賜物」2015年4月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会

預言者ニーファイは,神の恵みについて理解するうえで役立つ重要なことを教えてくれています。「わたしたちは子孫と同胞に,キリストを信じ,神と和解するように説き勧めるために,熱心に〔働き〕続けようと努めている。それは,わたしたちが自分の行えることをすべて行った後に,神の恵みによって救われることを知っているからである。」2ニーファイ25:23

 

しかし,わたしたちはときどき,「自分の行えることをすべて行った後」という言葉を間違って解釈していることがないでしょうか。「行った後」は,「行ったので」と同じではないことを理解しておかなければなりません。

 

わたしたちは自分の行えることを全て「行ったので」救われるのではありません。わたしたちの中に,自分の行えることを全て行った人がいるでしょうか。神はわたしたちがあらゆる努力を尽くすまで,わたしたちの人生に手を伸べて救いをもたらす恵みを与えるのをお待ちになるのでしょうか。

 

求められていることを自分はいつも行えていないと落胆している人が大勢います。「心は熱しているが,肉体が弱い」ことを,彼らは身をもって知っています。マタイ26:41ローマ7:19も参照)彼らはニーファイとともに声を上げて言います。「わたしの霊はわたしの罪悪のために嘆く。」2ニーファイ4:17

 

ニーファイは,救い主の恵みによって人は罪を克服することが可能となり,そのための能力を授けられるということを知っていたに違いありません。2ニーファイ4:19-35アルマ34:31参照)だからこそ,ニーファイは子孫と同胞に「キリストを信じ,神と和解するように」説き勧めようと非常に熱心に努めたのです。2ニーファイ25:23

 

結局のところ,それがわたしたちの行えることであり,現世での務めなのです。

 

 

 

Lord Shepherd, 2019 Jorge Cocco Santangelo