見よ、メシヤは律法の目的を達するため、打ち砕かれた心と悔いる霊を持つすべての人のために、罪に対する犠牲として御自身をささげられる。このような人々のためにしか、律法の目的は達せられないのである。
「宿屋に居場所を」2021年4月、ゲレット・W・ゴング、十二使徒定員会
現世で,わたしたちは時折主を待ち望むことがあります。将来いたいと思う場所に,まだいないかもしれません。ある敬虔な姉妹はこう述べています。「祝福を求めて忠実に主を待ち望むのは,聖い生き方です。それを哀れんだり,見下したり,裁いたりせずに,畏敬の念をもって接するべきです。」 わたしたちは待ち望む間も,別の人生が始まるのを待たずに,今を生きるのです。
イザヤは約束しています。「主を待ち望む者は新たなる力を得,わしのように翼をはって,のぼることができる。走っても疲れることなく,歩いても弱ることはない。」(イザヤ40:31)
良いサマリヤ人は戻って来ると約束しておられます。主がなさるように互いに気遣い合うときに奇跡が起こります。打ち砕かれた心と悔いる霊を持つようになると,(2ニーファイ2:7;3ニーファイ9:20;教義と聖約59:8参照)イエス・キリストの御声に気づき,主の思いやりの御腕に包み込まれて安全でいられます。(アルマ34:16参照)神聖な儀式は,内面の思いと外面の行動を聖めるために,聖約による帰属意識と「神性の力」をもたらします。(教義と聖約84:20)そして,主の愛にあふれた優しさと寛容によって,主の教会がわたしたちの宿屋となります。
わたしたちが主の宿屋に部屋を設けて,すべての人を迎え入れるとき,良いサマリヤ人は,ほこりっぽいこの世の道でわたしたちを癒してくださいます。御父と御子イエス・キリストは,「この世において平和を,また来るべき世において永遠の命を受ける」と(教義と聖約59:23),すなわち「わたしがいる所に,あなたがたもいる」と,完全な愛をもって約束しておられます。(教義と聖約132:23)これらのことを感謝し,イエス・キリストの聖なる御名によって証します,アーメン
Go and do likewise (the Good Samaritan) by Jorge Cocco Santangelo
