人は善悪をわきまえることを十分に教えられている。また、人には律法が与えられている。しかし、この律法によって義とされる者はだれもいない。すなわち、この律法によって人は絶たれるのである。まことに、現世にかかわる律法によって人は絶たれ、また霊にかかわる律法によっても人は良いものから絶たれて、とこしえに惨めな状態になる。
「平安と喜びに至る道」2000年10月、リチャード・G・スコット、十二使徒定員会
御父と御子はなぜ悔い改めを命じられたのでしょうか。わたしたちを愛しておられるからです。すべての人が、永遠の律法を破ることを御存じでした。それが小さくても大きくても、律法が破られると、この世で喜びを得るという約束と、天の御父のもとへ帰るという特権を保つために、正義の要求を満たさなければなりません。もし満たせなければ、裁きの日に正義の要求により、わたしたちは神の御前から追放されて、悪魔の支配下に置かれます。(2ニーファイ9:8-10; 2:5参照)
そのような罪の宣告を避けられるようにしてくれたのが、救い主と贖いの業です。それはイエス・キリストを信じ、戒めを従順に守り、そして最後まで堪え忍ぶことによって可能になります。
皆さんは、さらに大きな平安と喜びを味わえるように、生活の中で悔い改めの贖いの力を十分に活用しているでしょうか。心の動揺や落胆が頻繁にあれば、悔い改めが必要なしるしです。また、生活の中に霊的な導きが欠けているのは、律法を破った結果かもしれません。しかし必要であれば、完全な悔い改めによって皆さんの生活は本来の姿に戻ります。罪によって生じる複雑な霊的な苦痛をすべて取り除きます。しかし、ここにおいて、重大な罪によって物理的に生じた結果の中には、治療できないものがあります。賢くあって、主が定められた義の範囲内でいつも生活してください。
