2ニーファイ2:8 そこで彼らは恐れを静め | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2ニーファイ2:8

したがって、これらのことを地に住む者に知らせて、聖なるメシヤの功徳と憐れみと恵みによらなければ、だれも神の御前に住める者がいないことに気づかせるのは、何と大切なことであろうか。聖なるメシヤは、肉において御自分の命を一度捨て、そして、死者の復活をもたらすために御霊の力によって再びそれを得て、最初によみがえる者となられる。

 

 

「そこで彼らは恐れを静め」2015年4月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会

禁断の実を食べた後,神の声を聞いたアダムとエバはエデンの園で身を隠しました。神はアダムに呼びかけてお尋ねになりました。「『あなたはどこにいるのか。』〔アダムは答えました。〕『あなたの〔声〕を聞き,……恐れ……たのです。』」(創世3:9-10)注目するべきことに,堕落の影響として最初に起こったことの一つは,アダムとエバが恐れを経験したことです。この強力な感情は,わたしたちの現世での経験の重要な要素なのです。

 

モルモン書には,主を知る知識がもたらす力によって(2ペテロ1:2-8アルマ23:5-6参照),ひどい逆境に直面したときでさえも恐れが消え去り,平安が与えられることを明らかにしている例があります。

 

ヘラムの地で,アルマの民はレーマン人の軍隊がやって来たためにおびえました。

 

「しかし,アルマは出て行って民の中に立ち,怖がらないように,また主なる自分たちの神を覚えていれば主は助けてくださると彼らに説いた。‎

 

そこで彼らは恐れを静め……た。」(モーサヤ23:27-28

 

アルマが民の恐れを静めたのではないことに注目してください。そうではなく,アルマは信者たちに,主を覚え,主だけが与えることのおできになる助けを思い起こすように勧めたのです(2ニーファイ2:8参照)。そして救い主の見守りを知ることで,民は自分自身の恐れを静めることができました。

 

主を知る正しい知識と主を信じる信仰は,恐れを静める力を与えてくれます。イエス・キリストこそ永続する平安の唯一の源であられるからです。主は次のように言っておられます。「わたしに学び,わたしの言葉を聴きなさい。わたしの御霊の柔和な道を歩みなさい。そうすれば,あなたはわたしによって平安を得るであろう。」(教義と聖約19:23)‎

 

 

 

Fear not it is I. 2018 By Gorge Cocco Santangelo