1ニーファイ16:2
そこでわたしは兄たちに、真理に従い、悪人にとって厳しいことを言ったのはよく承知していると話した。わたしは義人を義とし、彼らが終わりの日に高く上げられることを証した。そのために、罪のある者は真理が胸の底まで刺し貫くので、真理を厳しいものと思うのである。
「主はかしこに在す」(英文)1997年10月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
神がその存在を示されたのは,柔和な言葉によってだけではありません。厳しい言葉の中にもそれは示されました。たとえば,「真理が胸の底まで刺しつらぬく」(1ニーファイ16:2) とき,これは霊的な手術が行なわれていることを意味するものであり,痛みに耐えながら心から高慢を切り取っているのです。
また,たった一度の苦悩にさいなまれた心が,真理の厳しい言葉をもって扉の鎖を切られるときも,神はそこにおられます。兄弟姉妹の皆さん,ときどき私たちの心は,ある考えを包み込むのではなく,逆にひとつの考えが固定観念となって心が縛られてしまうことがあります。「高慢は彼らの首飾りとなるのです。」(詩篇73:6)
霊的に傑出した人も含めて,愛する人を懲らしめられるとき,主は確かにその場におられます。ジェレドの兄弟は長い間祈ることをしませんでした。(イテル2:14参照)善良な人でも,主がその場に臨んで懲らしめないと注意を怠ってしまうことがあるのです。しかし,懲らしめを受けたジェレドの兄弟は,後にキリストにまみえました。(イテル3:13-16参照)
