1ニーファイ7:21 自分の十字架を負う | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ7:21
そこでわたしは、兄たちのしたことをすべて心から赦し、主なる彼らの神に赦しを求めて祈るように勧めた。それで彼らは、そのとおりにして祈った。彼らが主に祈り終えると、わたしたちはまた、父の天幕を目指して旅を続けた。



「自分の十字架を負う」2019年10月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
わたしたちが試練を克服しようと努力を続けるなら,神は祝福として癒される信仰と,奇跡を起こす賜物を与えてくださるでしょう。教義と聖約46:19,21参照)自分自身ではできないことを,主は行ってくださるのです。

さらに,不当だと感じることに対して,苦々しさや怒りを抱き,気分を害し,悲しみにとらわれている皆さんにとって,十字架を負い,救い主に従うとは,このような心の状態から自由になり,平安を見いだす助けをいただけるように,このような思いをわきに置いて,主に心を向けるよう努力することを意味します。残念なことに,このような否定的な思いや感情にとらわれてしまうと,生活の中で主の御霊の影響を受けられなくなってしまいます。人のために悔い改めをすることはできませんが,それでも自分に害を与えた人に捕らわれることを拒否することによって,彼らを赦すことができます。(ニール・A・マックスウェル「悔い改め」 『聖徒の道』1992年1月号,32参照)

聖文は,救い主によって石のようなの心を取り除いて新しい心をいただくことにより,このような状況から抜け出す道があることを教えています。エゼキエル18:3136:26参照)そのためには弱さをもって主のもとに行く必要があります。エテル12:27参照)特に,毎週日曜日,聖餐をいただく神聖な時間に,主の助けと赦しを求めることが必要です。1ニーファイ7:21参照)主の助けを求め,自分を傷つけた人を赦すという困難でも大切な一歩を歩み出すことができますように。それによって自身の傷が癒され始めることを願っています。そうするなら,皆さんは主と共にある平安を得,慰めに満ちた夕べを日々過ごせることを約束します。