1ニーファイ8:5-7
そして、わたしは一人の男の人を見た。その人は白い衣を着ていて、わたしの方に来て、わたしの前に立った。そして、その人はわたしに言葉をかけて、後について来るように言った。そこでついて行くと、わたしは自分が暗くて寂しい荒れ野にいることが分かった。
「天使の務め」2008年10月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
通常,天使の存在は目に見えませんが,見えるときもあります。見えても見えなくても,いつも近くにいるのです。天使は世界全体に影響を及ぼすほど大きな使命を担うこともあります。もっと個人に向けたメッセージを携えて来ることもあります。時には警告を目的とすることもあります。しかしほとんどの場合,困難なときにあって慰めを与え,何らかの形で憐あわれみに満ちた関心を示し,導くために訪れるのです。夢の中で,リーハイは恐ろしい場所にいました。自ら「暗くて寂しい荒れ野」と書いています。リーハイは天使に出会いました。「その人……は白い衣を着ていて,……わたしに言葉をかけて,後について来るように言った」(1ニーファイ8:7,5-6)と記しています。リーハイは天使の後について行き,安全な場所,そして最終的には救いの道へと導かれました。
わたしたちは皆人生の旅路において,「暗くて寂しい」場所,つまり悲しみや恐れ,失意といった状況に身を置くことがあります。現在,世界中の人々が,財政危機,エネルギー問題,テロリストの攻撃,自然災害などに苦しんでいます。これらのことは,個人や家族に,住む家や食糧の不安だけでなく,子供たちの将来の安全と幸せについて,また,末日の預言にある地球の行く末について不安を抱かせることになります。これら以上に深刻であり,時にこれらと関連を持つのが,倫理,道徳,霊的な事柄についての堕落です。これは,人の住む所であれば規模を問わず,家庭の内外で起きています。しかし天使は,アダムとエバ,預言者,そして世の救い主をも助けるために遣わされたように,わたしたちを助けるために今でも遣わされていることを証します。マタイは福音書の中で,サタンが荒れ野でキリストを誘惑した後,「御使いたちがみもとにきて仕えた」(マタイ4:11)と記しています。神御自身である神の御子でさえ,地上におられた間,天の慰めを必要とされました。ですから,天使は時の終わりまで,義にかなった人々を教え導くでしょう。後に天使となった息子のモロナイにモルモンが語ったとおりです。
「奇跡の日は終わってしまったと言えるであろうか。
天使が人の子らに現れることは,終わってしまったのであろうか。神は聖霊の力を人の子らに与えられなくなったのであろうか。時が続くかぎり,大地が存在するかぎり,地の面に救われる人が一人でもいるかぎり,神は聖霊の力を与えるのを控えられるであろうか。
見よ,そうではないと,わたしはあなたがたに言う。……天使が人に現れて教え導くのも,信仰による。……。
見よ,天使はキリストに従っており,深い信仰と確固とした心をもって,あらゆる方法で神を敬う者に自分自身を示し,キリストの命じられる御言葉のとおりに教え導いている。」(モロナイ7:35-37,30)
Angel V (2017)by Jorge Cocco Santangelo
