エペソ2:14-15
キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、
「キリストの平安は敵意を取り除く」2021年10月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会
少なくとも二つの理由で,サタンは笑い,神は泣かれます。第1に,争いは,イエス・キリストと主の「功徳と憐れみと恵み」によりもたらされる贖いについての,世に対するわたしたち全体の証を弱めます。(2ニーファイ2:8)救い主は言われました。「わたしは,新しいいましめをあなたがたに与える,互に愛し合いなさい。……互に愛し合うならば,それによって,あなたがたがわたしの弟子であることを,すべての者が認めるであろう。」(ヨハネ13:34,35)逆もまた真実です。すなわち,わたしたちが互いに愛を示さないとき,わたしたちは主の弟子ではないということをすべての人が知っています。争いや敵意※が主の弟子たちの間にある(ヨハネ17:21,23参照)とき,主の末日の業は損なわれます。第2に,争いは,わたしたち個人にとって霊的に健全ではありません。平安や喜び,安らぎが奪われ,御霊を感じる能力が損なわれるからです。
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恵まれてキリストの弟子となった世界中の聖徒たちの模範に従いましょう。わたしたちは,「わたしたちの平和であって,……ご自分の〔贖いの犠牲〕によって,敵意という隔ての中垣を取り除〔かれた〕」イエス・キリストに頼ることができます。(エペソ2:14—15)世に対するわたしたちのイエス・キリストについての証は強められ,わたしたちは霊的に健全な状態を保てるでしょう。(エペソ2:19参照)わたしたちが「争いをやめ」,「愛をもって主と心を合わせ,主とひとつになる」とき,主の平安を受けるでしょう。(ラッセル・M・ネルソン「『争い』という害毒」『聖徒の道』1989年7月号,73参照)イエス・キリストの御名により,アーメン
※敵意とは,人や物事に対して能動的に反対する状態または感情です。それには,敵対心,反目,憎悪,恨み,さらに根深い嫌悪や悪意が含まれます。「敵意」と訳されるギリシャ語は,「憎しみ」と訳されることもあります。それは「愛」と訳される「アガペー」の反意語です。See James Strong, The New Strong’s Expanded Exhaustive Concordance of the Bible (2010), Greek dictionary section, number 2189.
