2コリント12:7
そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。
「与えられたもので満足する」2000年4月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
満足とは自己憐憫なしに受け入れることです。しかし従順に堪え忍ぶならば、このような欠乏は、大きく高められた魂で埋めることができる穴のようなものにすぎないと言えるようになるでしょう。
中には、この世での安定した生活を突然打ち破られるような経験をする人もいます。ある人々は「一時的な」試練に襲われるだけですが、与えられたものを「受け入れる」しかない人もいます。パウロは自分の「肉体に一つのとげ」があることを「受け入れて」いました(2コリント12:7)。
そうした現世での配分は、来たるべき世で一変すると言えば十分でしょう。来世でのわたしたちの状態を決定する、悔い改めていない罪だけが例外です。
したがって、与えられた制限や機会の中で満足感を育てることはわたしたちに与えられた課題です。これがうまくいかないと、使ってもらえない、期待されていない、感謝されていないといった気持ちになりますが、皮肉にも周りには用いられていない奉仕の機会が身近にあるのです。ですから、力強い天使の声のような、神が授けてくださった以上のものを求めるべきではありません。授けられた中でできることがたくさんあるからです(アルマ29:3-4参照)。さらに、与えられた環境がどうあれ、神の戒めを守ることはできるでしょう。
