2コリント12:7
そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。
「主は重荷を負っている人を癒される」2006年10月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会
救い主は御自分が癒そうと考える人はだれでも癒すことがおできになりますが,主の神権の権能を持つ人は,常にそうではありません。神権の権能をこの世で行使する場合,その権能の持ち主である主の御心に従う必要があります。その結果たとえ長老から祝福を受けたとしても「死に定められてい〔る〕」人は癒されないと教えられています(教義と聖約42:48)。同じように,使徒パウロは,「肉体に〔与えられた〕一つのとげ」から癒されたいと願いましたが,主はあえて癒されませんでした(2コリント12:7)。後日,パウロは,主が「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」と説明してくださったと書いています(9節)。パウロは,主の説明に従順に応じて,「キリストの力がわたしに宿るように,むしろ,喜んで自分の弱さを誇〔った。〕……なぜなら,わたしが弱い時にこそ,わたしは強いからである」と述べています(9-10節)。
癒しの祝福は様々な形でもたらされます。わたしたちのことを最も深く愛しておられる御方が御存じのままに,それぞれの必要に合わせてもたらされるのです。ときに,「癒し」は病気を治し,重荷を軽くしてくれます。しかし,ときには,託された重荷に耐えられるだけの力や理解力,忍耐力が与えられることによって「癒される」こともあります。
