1コリント15:14 日曜日は必ずやって来る | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1コリント15:14
もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。 


「日曜日は必ずやって来る」2006年10月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会
わたしたちは復活が何かを知っています。それは霊と肉体が再び結合して完全な形になることです。アルマ11:43参照)

ジョセフ・F・スミス大管長は言いました。「わたしたちは,現世で別れた人々と再び会い,今ある姿を見ることができ〔ます〕。……わたしたちは肉において現世で交わった〔その同じ〕人々に会うことでしょう。」(『歴代大管長の教え――ジョセフ・F・スミス』91)

スペンサー・W・キンボール大管長はさらに詳しく述べています。「肉体的,精神的,霊的に最も良い状態にある自分を想像してください。それこそが,復活したときの姿です」(スペンサー・W・キンボール,The Teachings of Spencer W. Kimball,エドワード・L・キンボール編(1982年),45)

復活すると,「この死すべき体は不死不滅の体によみがえる。……〔わたしたちは〕もう死ぬことはあり得ない。」アルマ11:45

想像できるでしょうか。全盛期の姿によみがえるのです。病も痛みもなく,現世でしばしば人にまとわりつく病気に悩まされることもないのです。

復活は,クリスチャンの信条の核を成すものです。復活なしには,わたしたちの信仰は無意味です。使徒パウロは言いました。「もしキリストがよみがえらなかったとしたら,わたしたちの宣教はむなしく,あなたがたの信仰もまたむなしい。」1コリント15:14

……

キリストが十字架にかかられた金曜日は,どんなに暗かったことでしょう。

その恐ろしい金曜日,地は揺れ,闇に包まれました。恐ろしい嵐が地を襲いました。

……

世界の歴史が始まって以来,この金曜日ほど暗い日はなかったでしょう。

しかし,その悲しみは続きませんでした。失意は消え去りました。なぜなら日曜日に,復活された主が死の縄目を解き放ったからです。主は墓からよみがえり,栄光のうちに勝利を収め,全人類の救い主として御み姿すがたを現されたのです。

一瞬にして,とめどなくあふれる涙でいっぱいだった目は乾きました。苦悩と悲嘆の祈りをささやいていた唇は,驚くべきことを賛美する言葉を語り始めました。なぜなら,生ける神の御子イエス・キリストが,よみがえりの初穂として人々の前に立ち,死が新たな驚くべき人生の始まりにすぎないことを証明したからです。

だれもが自分の金曜日を経験するでしょう。世界が粉々になり,その砕け散ったかけらの中に自分が独りいるように感じる金曜日を。すべてが砕け散ってもう元には戻らないように思える日々を,だれもが経験するでしょう。だれもが自分の金曜日を経験します。

しかし,死に打ち勝った主の御名(みな)により,証します――日曜日は必ずやって来ます。悲しみの暗闇の中に,日曜日は必ずやって来るのです。

どんなに失意の底にあり,悲しみが深くとも。日曜日は必ずやって来ます。この世かあるいは次の世に。日曜日は必ずやって来ます。