1コリント2:9 うたえぬ歌をも | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1コリント2:9
しかし、聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。



「うたえぬ歌をも」2011年10月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会
愛する人を失った人にとって特に難しい問題は,この世の人生で失われた機会について,あれこれ考え続けないようにすることです。まだ若いうちに亡くなった人には優れた能力や才能,影響力を持った人が多いものです。わたしたちは理解力が限られているため,もはや成し遂げられることのない事柄や歌われることのない歌を悲しみます。人々は,「彼は音楽を内にとどめたまま死んでしまった」などと言ったりします。この場合の音楽とは,どのような種類であれ,発揮されなかった潜在的な力のたとえです。かなりの準備を重ねてきたのに,この世では実現させる機会のない人もいます。(“The Song That I Came to Sing,” The Complete Poems of Rabrindranath Tagore’s Gitanjali,S・K・ポール編(2006年),64:「今日まで歌うこともなく,楽器の弦を張ってはほどく日々が流れた。」参照)トマス・グレイが書いたよく引用される有名な詩「エレジー,墓畔の哀歌」の一節には,そのような失われた機会への思いが込められています。

咲く花は多けれど 人に見られることもなし
麗しき香りとて むなしく空に漂うばかり (トーマス・グレイ,“Elegy Written in a Country Church-Yard,” The Oxford Book of English Verse,クリストファー・リック編(1999年),279)

失われた機会は家族,仕事,才能,経験などに関連したものであることもあります。コーベット姉妹の場合には,これらが皆,若くして断ち切られてしまったのです。歌うことのなかった歌があり,この世の人生で発揮されなかった潜在能力がありました。しかし,単なるこの世の不完全なレンズではなく,福音の広く,澄んだレンズを通して見れば,愛にあふれた御父がその計画の中で約束された永遠の大いなる報いが待っているのです。使徒パウロが教えたように,「目がまだ見ず,耳がまだ聞かず,人の心に思い浮うかびもしなかったことを,神は,ご自分を愛する者たちのために備えられた」のです。1コリント2:9愛されている賛美歌の次の一節は,慰め,元気づけ,そして澄んだレンズを与えてくれます。「うたえぬ歌をも主は聴きたもう。」「心に光あり」『賛美歌』139番