使徒行伝1:11
言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。
「またこの地に預言者たちが」2006年10月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
最後に申し上げますが,教会の総大会は以下のことを全世界に宣言するものです。すなわち,イエスがキリストであること,イエスとその御父,わたしたち一人一人の神であり御父であられる御方が,少年預言者ジョセフ・スミスに御姿を現され,古代の約束が成就されたことです。成就された約束とは,復活されたナザレのイエスが御自身の教会をこの地上に回復され,再び「天に上って行かれるのを〔ユダヤの聖徒たちが見た〕のと同じ有様でまたおいでになる」ということです。(使徒1:11)この大会,そしてこの大会と主旨を同じくするほかのすべての大会は,イエスが御自身を低くされ,貧しくつつましい環境にお生まれになり,悲しみと拒絶,落胆と死に直面されたことにより,わたしたちが破滅から救われ,わたしたちの命が続くようになったこと,「その打たれた傷によって,われわれはいやされた」ということを宣言するものです。(イザヤ53:5)この大会は「そのいつくしみは絶えることがない」という愛にあふれるメシヤについての約束をあらゆる国民,部族,国語の民,民族に告げ知らせます。(詩篇136:1参照)
道に迷い,希望を失っているすべての人々,あるいはあまりにも多くのあまりにも重大な罪を,あまりにも長い間犯してしまったと考えているすべての人々,人生という寒々とした平原に取り残され,道半ばにして手車を大破させてしまったと嘆いているすべての人々に向かって,この大会は幾度となく繰り返されてきたエホバの御言葉を声高らかに宣言しているのです。「わたしは,なお手を差し伸べている。」(イザヤ5:25;9:17,21参照)「『わたし〔は〕日々腕を伸べている……。〔そしてたとえ彼らが〕わたしを拒〔んでも,〕彼らが悔い改めてわたしのもとに来るならば,わたしは彼らを憐(あわ)れもう。わたしは終日,腕を伸べているからである』と主なる神は言われる。」(2ニーファイ28:32)主の憐れみはいつまでも絶えることがありません。また,主の御手(みて)は今でも伸べられているのです。主の愛は純粋なキリストの愛,いつまでも絶えることのない慈愛,たとえほかのすべての力が消えうせてしまうときでさえ絶えることのない憐れみなのです。(モロナイ7:46-47参照)
わたしはこのイエスが人に手を差し伸べ,救いをもたらす憐れみに満ちた御方であること,この教会が主の贖(あがな)いの愛を礎とする,主の贖いをもたらす教会であること,また,モルモン書の預言者も宣言したように,「主から遣わされた預言者たちが〔それを告げるために〕民の中にやって来〔たこと〕,……またこの地に預言者がやって来」たことを証します。(エテル7:23;9:28)わたしはゴードン・B・ヒンクレー大管長が,頭からつま先に至るまで,あらゆる点でそのような預言者であることを証します。わたしたちはヒンクレー大管長が健在であることとその言葉を大切に思っており,大管長のために心から祈ってきました。年に2回開催されるこの集会の結びの言葉を,大管長がこれから語ってくれます。総大会のこの時期,これらすべての祝福とその他のあふれる恵みに対し,心から感謝いたします。イエス・キリストの御名により,アーメン
