マタイ27:48
するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
「ああ、聖なる贖い主」(英文)1981年10月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
人生の思いもかけない皮肉ななりゆきについて, 私たちは主に何を教えることができるでしょうか。主が亡くなられた時, 残された, たった1枚の着物さえくじで分けられました。(マタイ27:35参照)しかし主にとって, この地球は足台だったのです。主は人類が再び渇くことのないように, 生ける水を与えて下さいました。それなのに, 十字架の上で主に差し出されたのは, 酢いぶどう酒でした。(ヨハネ4:10-19、マタイ27:48参照)
……
何ひとつとして私たちが主に教えることはありません。しかし, 私たちは主のみ言葉に耳を傾け, 主を愛し, 敬い, 礼拝することはできます。主の戒めを守り, 聖典に親しむことができます。そうです, 主を忘れてみこころに背きやすい私たちではありますが, 決して主から忘れられることはないのです。私たちは主の「業」であり主の「栄光」です。主は決して私たちを迷わせたりされません。(モーセ1:39参照)
ですから, 私は主を讃美し, 主のみ業をたたえます。主の栄光を表わすにはあまりにも拙い言葉ではありますが, この時満ちたる時代に特に召された主の証人として,主のみ業が完きものであることを証します。
