ヨハネ19:10
そこでピラトは言った、「何も答えないのか。わたしには、あなたを許す権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのか」。イエスは答えられた、「あなたは、上から賜わるのでなければ、わたしに対してなんの権威もない。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪は、もっと大きい」。
「贖罪」(英文)、1988年4月、ボイド・K・パッカー、十二使徒定員会
あざけりと虐待とむち打ち, そして十字架での最後の苦痛のさ中,主は沈黙を守リ,その身をなすがままにされました。
しかし,この凝縮されたドラマの中にキリスト教の教義の真槌を示すひとつの例外があります。
それは裁判の場でのことでした。恐れを抱いたピラトはイエスにこう語ります。
「何も答えないのか。わたしには, あなたを許す権威があり, また十字架につける権威があることを,知らないのか。」(ヨハネ19:10)
次の主の言葉には,物静かな中にも主の偉大な姿を見る思いです。「あなたは,上から賜わるのでなければ,わたしに対してなんの権威もない。」(ヨハネ19:11)
その後の出来事は, ピラトにそれを左右する力があったからではなく,主にそれを受け入れる意志がおありになったから起こったのです。イエスはこう言われました。
「わたしが……命を捨てるのは,それを再び得るためである。
だれかが,わたしからそれを取り去るのではない。わたしが, 自分からそれを捨てるのである。わたしには,それを捨てる力があり, またそれを受ける力もある。」( ヨハネ10:17-18)
